伊達政宗は徳川家康の作った城に住まわされ…:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【2】 (2/3ページ)
(家康との間で密儀があったか)
仙台城の候補地として政宗が届け出たのは
第一候補 仙台青葉山
第二候補 仙台榴ヶ岡
第三候補 仙台大年寺山
第四候補 石巻日和山
政宗の本意は、第一希望が榴ヶ岡でしたが、家康の心理を読み第一ははずすだろうと考えたのですが、家康はその裏をかいて第一候補の青葉山に許可したとされます。
12月24日、政宗は青葉山に登り縄張り始めを行い、地名を千代から仙台へと改めました。
青葉山には元々政宗の叔父である国分氏の城があって、その正確な鬼門方位(玉手埼)に天神社がありました。
だから築城開始した時点で、六芒星の6地点のうち、青葉山・玉手埼・榴ヶ岡の3点はすでにおさえてあったことになります。
徳川家康(with天海)は、「当時奥州の検地をおこなっていた」とありますから、岩出山の行き帰りに当然仙台の地理も調べていたことでしょう。
現・仙台東照宮のある場所(玉手埼)は、政宗の案内で家康公が休憩したといわれるゆかりの地です。
参照:仙台東照宮
家康が江戸の鬼門に水戸を、さらに仙台を置こうとしたなら、家康の風水ヲタクっぷりからして、政宗の好きにはさせなかったと想像します。
江戸の繁栄のために、完璧なまでの守りを造ろうとしたかもしれません。
仙台城は別名青葉城ともいいます青葉山は山城ですから、天守は必要が無い、もしくは幕府に遠慮して造らなかったと言われていますが、実は政宗は天守を建てる気満々だったようで、天守台の痕跡が城址敷地内にあるようです。詳しいことはわかっていません。
仙台城の特徴はなんといっても『懸造-かけづくり』でしょう。京都の清水寺にある崖にせり出した建造物と同等のものがあったのです。