伊達政宗は徳川家康の作った城に住まわされ…:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【2】 (1/3ページ)

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伊達政宗は徳川家康の作った城に住まわされ…:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【2】

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江戸の家康、仙台の政宗の鬼門封じ:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【1】

伊達政宗は、山形の米沢城で生まれ育ちましたが、豊臣秀吉の奥州仕置に合い宮城県北部の大崎岩手沢(現・岩出山)へ移封されました。その岩手山城の縄張りを行ったのが徳川家康です。

-政宗の移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行った後に伊達政宗への引渡しを行ったと言われる。 尚この時に「岩手沢」から「岩出山」へと改められた。 以後仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となる(この時期、伊達政宗は「大崎少将」を名乗った)-wikipediaより

慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いの年、政宗はこのどさくさにまぎれて幕府から築城許可をとったようなものです。

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