伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【2/4】 (2/4ページ)
そんな中、月日の流れた天正二1574年6月5日・盛氏の嫡男・蘆名盛興(もりおき)が若くして亡くなったため、一応ながら養子の身分であった平四郎が14歳で蘆名の家督を継承。元服して第18代当主・蘆名盛隆(もりたか)と称したのです。
人質の身分から一転、大名となった平四郎あらため蘆名盛隆(イメージ)。
人質の身分から、思わぬ息子の大出世ですが、何より嬉しかったのはとりあえず処刑されるリスクからの解放。
「良かった、本当に良かった……!」
「父として、我が子を主君と盛り立ててお仕え出来るとは……誠に平四郎ほどの孝行者はそうもおるまい!」
蘆名の家督を継承した平四郎あらため盛隆は、養父・盛氏から受け継いだ勢力基盤を存分に活かして領内外に存在感を示すと共に、実父の盛義を引き立てることで、すっかり衰退していた生家の再興に努めました。
すっかり立派になった長男・盛隆、そしてすくすくと成長している次男・行親。英明な兄弟二人が助け合えば、これで蘆名・二階堂の両家も末永く安泰……そう思っていた阿南姫と盛義でしたが……。
相次ぐ不幸……出家した阿南姫が女城主に「あなた、しっかりして下さいまし!いくら行親が利発とは申せ、家督を継ぐには、まだあまりにも早すぎますれば……!」
天正九1581年8月26日、夫の二階堂盛義がまだ30代という若さで急死(※)してしまい、家督はまだ12歳だった次男・行親が継承します。