伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【2/4】 (4/4ページ)

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三左衛門に斬られた蘆名盛隆(イメージ)。

時は天正十二1584年10月6日、つい先月(9月4日)に嫡男・蘆名亀王丸(かめおうまる)が生まれ、大乗院も「初孫が出来た」と喜んだばかりなのに……。

わずか生後1ヶ月で蘆名家の第19代目を継承した亀王丸ですが、天正十四1586年11月21日、疱瘡にかかり儚くなってしまいました。

「いったい何の因果で、こう不幸ばかりが続くのでしょうか……!」

喪の明ける暇がない大乗院でしたが、悲しみにくれる暇もなく蘆名家の後継者争いに巻き込まれていくのでした。

【続く】

※参考文献:
芳賀登ら監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年
垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』吉川弘文館、2017年

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