伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【3/4】
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伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【2/4】戦国時代、伊達晴宗(だて はるむね)の娘として生まれた阿南姫(おなみひめ)は、須賀川(現:福島県須賀川市)城主の二階堂盛義(にかいどう もりよし)に嫁ぎます。
夫婦仲は円満で、永禄四1561年には長男・平四郎(へいしろう)を授かりますが、平四郎が5歳の時、黒川(現:福島県会津若松市)城主・蘆名盛氏(あしな もりうじ)に敗れたことで、臣従の証として養子≒人質に出させられてしまいました。
しかし人生は「塞翁(さいおう)が馬」、蘆名家の跡取りであった蘆名盛興(もりおき)が若くして亡くなると、平四郎が蘆名家を継いで元服、蘆名盛隆(もりたか)と称します。
盛隆は英明な君主として領内外に活躍すると共に、父・盛義を引き立てて衰退していた二階堂家を再興。

盛隆によって共に栄えた二階堂氏(三ツ盛亀甲花菱紋)と蘆名氏(三ツ引両)。
元亀元1570年に生まれた次男・二階堂行親(ゆきちか)もすくすくと成長しており、将来を楽しみにしていたのですが、天正九1581年に夫・盛義の急死を皮切りに、行親、盛隆、そして盛隆の嫡男・蘆名亀王丸(かめおうまる。3歳)が相次いで亡くなります。
出家して大乗院(だいじょういん)と称した阿南姫(※便宜上、以降も阿南姫で統一)ですが、夫や息子たちの死を悲しみ、菩提を弔う暇もなく、女城主として所領の切り盛りに追われる日々を送る中、後継ぎのいなくなった蘆名家の後継者争いに巻き込まれていくのでした……。
蘆名家の後継者争いで、実家と訣別さて、蘆名家の後継者には、2人の候補者が名乗りを上げていました。
その1人目は、蘆名家の盟友である常陸国(現:茨城県)の戦国大名・佐竹義重(さたけ よししげ)の次男・佐竹義広(よしひろ)。大乗院にとって甥に当たる人物です。
もう1人は、大乗院の実家を継いでいた伊達政宗(だて まさむね。晴宗の孫)の弟・伊達小次郎(こじろう)。こちらも大乗院にとっては甥に当たります。
南の佐竹氏と組むのか、あるいは北の伊達氏と組むのか……この重大な決断を前に、蘆名家中は大いに紛糾しました。
大乗院とすれば、実家の伊達氏により近い小次郎を選びたかったところかも知れませんが、それを制したのが兄・岩城親隆(いわき ちかたか)でした。
「伊達は、こと政宗は奥州制服の野望を秘めており、油断がならん。ここは義広殿を蘆名家の跡取りに推すべきじゃ」
「……はい」
かくして阿南姫は実家と訣別し、岩城・佐竹サイドに与して義広を推した結果、天正十五1587年3月に家督を継承、蘆名義広と称しました。
明けて天正十六1588年2月、政宗が伊達家から離反しつつあった大崎(おおさき)氏の内紛に乗じて軍事介入を図るも撃退されてしまいます(大崎合戦)。これを伊達つぶしの好機と見た義広は、大内備前守定綱(おおうち びぜんのかみ さだつな)に兵4,000を預けて伊達領へと北上させます。
緒戦は快進撃を続けた蘆名軍でしたが、新参者だったために冷遇されていた定綱は伊達成実(しげざね。政宗の従弟)に調略され、伊達に寝返ってしまいます。
後世「郡山合戦(こおりやまがっせん)」と呼ばれるこの戦さでは、阿南姫も盟友・相馬義胤(そうま よしたね)ともども蘆名方に援軍を派遣。
更には出羽国(現:山形県)から最上義光(もがみ よしあき)の援軍も得て、南北から政宗を追い詰めていったものの、最終的には逆転されて政宗有利の状態となり、一応の和睦を結びます。
しかしここまで来たら、もう後には退けません。伊達が滅ぶか、さもなくば蘆名が滅ぶか。生き残りを賭けた最終決戦が迫っていました。
蘆名家の滅亡、迫りくる伊達の大軍「そんな、まさか……」
阿南姫の守る須賀川城に届いたのは、天正十七1589年6月5日に摺上原(すりあげはら。現:福島県磐梯町、猪苗代町)の合戦で、蘆名義広は伊達政宗に完全敗北。義広は所領を放棄し、生家の父・佐竹義重を頼って常陸国へ落ち延びた(実質的な蘆名家の滅亡)との報せでした。
「これで、蘆名もおしまいじゃ……」
「尼御台様!伊達の軍勢がこちらへ迫っておりまする!」
「もはや勝機もございませぬ!どうか、降伏のご決断を!」
気づけば須賀川城を包囲していた伊達の大軍……見ればその中には、かつて蘆名の禄を食(は)んだ≒今は裏切った者たちも少なくありません。
「……あの者たちは……」
「今や奥州の趨勢は、伊達に傾いております。勝者に従うは世の習いなれば……」
伯母・阿南姫に降伏を勧める伊達政宗。Wikipediaより。
ちょうどそこへ、伊達軍から降伏勧告の使者がやって来ました。政宗からの書状は「伯母上と争うのは本意ではない。手厚くお迎え致すゆえ、どうか降伏されたし」との文言でした。
(当然、尼御台様は降伏なさるだろうな。戦っても勝ち目はないし、もともと伊達の身内だから、待遇条件も悪くなかろうし……)
二階堂家中の誰もが、そう思っていた時でした。
【続く】
※参考文献:
芳賀登ら監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年
垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』吉川弘文館、2017年
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