歴代総理の胆力「村山富市」(1)「天の時、地の利、人の和」の3条件 (2/2ページ)
そしての「人の和」は、村山が時の自民党で発言力があり、クセ者にして“ハト派”の後藤田正晴、梶山静六、野中広務といった面々にその人柄を買われ、ミコシとしての村山をこれら実力者が揃って汗をかき、担いだからということだった。逆に言えば“担がれ上手”の体質が村山にはあったということだった。
なるほど、1年半の村山政権の実績を点検してみると、冒頭の村山の言葉にあった自らに課されたとする「歴史的役割と任務」は、まずは果たした格好ではあった。
総理に就任した村山は、まず「日米安保体制の堅持」「自衛隊の容認」を表明、「日の丸・君が代」を国旗・国歌として認めるという、それまでの社会党からすれば、まさにコペルニクス的な政策の大転換をやってみせた。これらは、やがて党の基本政策として採決され、ここに事実上、社会党は解党されたといってよかったのであった。一方で、先の自民党の“クセ者三者”の思うツボでもあったということである。
また、政権2年目に入った平成7年8月15日の終戦記念日には、過去の日本の「植民地支配と侵略」に「痛切な反省」「お詫びの気持ち」との「村山談話」を表明、閣議決定もした。のちの自民党の各内閣も、以後、この閣議決定を踏襲しているのである。
一方で、こうした「歴史的役割と任務」を果たしたほかに、被爆者援護法の制定、水俣病未認定患者の全員救済といった“社会党らしさ”も示した。しかし、一国のトップリーダーとしての国家観の披歴、あるべき国家ビジョンを掲げることはなかった。労働組合委員長が、突然、社長に担ぎ上げられ、「あるべき会社のビジョンを掲げよ」と迫られても、それはいささか酷ということでもあった。
■村山富市の略歴
大正13(1924)年3月3日、大分県生まれ。学徒出陣、明治大学専門部卒業。大分市議、県議を経て、昭和47(1972)年12月、社会党より衆議院議員初当選。平成6(1994)年6月、村山連立政権組織。総理就任時70歳。平成12(2000)年6月、政界引退。現在は社民党名誉党首。
総理大臣歴:第81代 1994年6月30日~1996年1月11日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。