歴代総理の胆力「村山富市」(1)「天の時、地の利、人の和」の3条件 (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「村山富市」(1)「天の時、地の利、人の和」の3条件

 人柄誠実で聞こえた村山富市は、総理大臣就任が決まった瞬間、周囲に「困った、困った」と口にしていたが、やがて次のようにハラをくくった。

「東西冷戦が終焉し、55年体制が崩壊するなど内外情勢が激変する中で、自民党も社会党も変革する必要がある。そういう時期に、社会党党首の自分が総理になった。ために、自分には歴史的役割と任務があると思っている。そして、これは天命にして使命でもある」(「私の履歴書」日本経済新聞社)

 戦後間もなくの片山哲内閣以来47年ぶりの社会党委員長として、この国のトップリーダーとしての覚悟が固まるや、その心境を村山はそう述懐している。

 羽田孜内閣の総辞職を受け、それまで下野していた自民党は「非自民連立政権」から離脱した社会党、新党さきがけと組み、この村山を首班とする“奇手”で政権の奪還を図った。

 村山は長らく社会党左派の立場から、「55年体制」下で自民党政権と対峙してきている。それがある日、突然の自民党からの「君が総理大臣をやってくれ」であり、もとよりその準備は皆無だった。一般の企業なら、労働組合の委員長が、ある日、突然、社長に担ぎ上げられ、ナニから手をつけていいものか途方に暮れるの図に似ていた。

 ところが、政権は1年半にわたり、なんとか「安定政権」を保つことができた。このフシギ、しかし村山には天下取りに不可欠な「天の時、地の利、人の和」の3条件が、ピッタリ揃っていたといってよかった。

「天の時」は、時代が村山を引っ張り出したということだった。平成6(1994)年という年は、長かった世界の東西冷戦構造が崩れ、それに伴って世界的にイデオロギー対決の時代が終息、ために社会党という政党の在り方も問われる空気が出ていたことによる。

「地の利」はと言うと、そうした“迷える社会党”にタイミングを合わせるように、絶好の誘い水として政権奪還を窺う自民党には、「数」が不足していたということだった。まさに、のるかそるかで、「自社」両党の間にアウンの呼吸が成立した格好だったのだ。

「歴代総理の胆力「村山富市」(1)「天の時、地の利、人の和」の3条件」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2020年 6/11号社会党内閣総理大臣小林吉弥村山富市社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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