絶対に大和国つながりだと思ってたのに!?神奈川県「大和」市の誕生、そして「まほろば連邦」の夢 (2/5ページ)

Japaaan

鶴見村の勢力図と、現代の大和市(後に南の渋谷村を編入)。

この辺りでは下鶴間(しもつるま)村・深見(ふかみ)村・上草柳(かみそうやぎ)村・下草柳(しもそうやぎ)村の四村が合併して鶴見(つるみ)村と改称します。

これは下「鶴」間と深「見」の文字を語呂よく採ったもので、上草柳と下草柳の文字は使われず、現地の人々からは不満の声が出たそうです。

恐らく、村同士の力関係によるものと考えられますが、だからと言って上草柳と下草柳でタッグを組んだだけでは、下鶴間&深見には太刀打ちできません。

一方で下鶴間も、本当は上鶴間と合併したかったけど、北の大野村(現:相模原市南部)に行ってしまったし、今からでもそっちに入れてもらおうかな……そんな不満もあったようです。

そもそも、元からあまり交流がなかったからこそ四つの村に分かれていた訳で、いくら国策だからと無理やり一緒にすれば、対立は避けられません。

「絶対に大和国つながりだと思ってたのに!?神奈川県「大和」市の誕生、そして「まほろば連邦」の夢」のページです。デイリーニュースオンラインは、大和地名カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る