徳川家康の遺言は東照宮をレイライン上に置くこと:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【4】 (2/3ページ)
徳川家康の遺命で、死後の墓と、御霊を祀る東照宮の場所が決められた。
遺体は久能山に葬られ、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国(愛知県岡崎市)の大樹寺に位牌を納め、一周忌を経て日光東照宮に分霊された。
家康公の神号は「東照大権現」。側近の天海、崇伝らの間で”権現”と”明神”のいずれかでもめたが、豊臣秀吉が「豊国大明神」のため不吉とされ、薬師如来を本地とする”権現”に決まった。
①右のライン-江戸城と日光東照宮を結ぶ家康公は死んで宇宙の中心・天帝(北極星)になるべく江戸のほぼ真北に遷座された。そして陽明門の真後ろに北極星が現れ、宇宙エネルギーを吸収し江戸へと流れるように設計されているそうだ。
ちなみに、日光東照宮の標高と東京スカイツリーの高さは同じ634mである。
②真ん中のライン-久能山東照宮と日光東照宮を結ぶ途中に、富士山を通過し、世良田東照宮が置かれている。
富士山を起点としたレイラインは他にも出雲大社をつなぐ「ご来光の道」がある。中間には近畿の五芒星の2か所(伊吹山と元伊勢)を通る。
江戸時代、富士山は家康のものだったが、家康から富士山本宮浅間大社に寄進された。しかし明治維新後、神社は国家管理となったため国有地化されるも、国と神社の間で法廷闘争が行われ、2004年、8合目から上の土地の権利が浅間大社に戻った。

