江戸時代「将軍」を輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【その1】 (2/2ページ)

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尾張藩の象徴名古屋城(Wikipediaより)

藩祖「義直」の藩訓

尾張徳川家の初代藩主徳川義直は1601年に大阪城で生まれる。学問を好んだ義直は堅物であったとされ、儒教に傾倒し尊王思想を重んじた。

義直は自身の著書である「軍書合鑑」に、”敬うべきは朝廷であり朝廷と幕府が争うことがあれば朝廷側に味方せよ“と説き、その思想は歴代藩主に語り継がれ尾張徳川家の藩訓となった。

義直の思想は、後に明治維新下における尾張徳川家のあり方に大きな影響を与えることとなる。

【その2へ続く】

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