「狂人」といわれた男。徳川3代将軍・家光の実弟「徳川忠長」28年の生涯【その3】 (2/3ページ)

Japaaan

徳川忠長像(Wikipediaより)

「狂人」「人格破綻者」などと表現される忠長には、それを彷彿とさせる逸話がいくつか残っている。

1631年、甲府への蟄居を命じられた年には、酒によって家臣の子や御伽の坊主(髪を剃り坊主姿の年配の女中)を殺害。乱暴や狼藉も甚しかったという忠長の周りには側近は寄り付かなくなった。

当時江戸に詰めていた家老の伝聞や観察では、改易や自刃の原因は忠長本人の狂気による部分が大きいと考えられていたようだ。

自刃の真相

忠長の処分についてははっきりとした真相がわかっているわけではない。

上述の通り、忠長自身の狂気が原因で自刃に追い込まれたという見解が定説となっているが、家光の陰謀説なるものも根強く残っている。

いずれにしても神君・家康公の孫であり、2代将軍秀忠を父に持つ自身の弟に自刃を言い渡す幕命を下した家光には、抜き差しならない理由があったことは容易に推察することができる。

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