「狂人」といわれた男。徳川3代将軍・家光の実弟「徳川忠長」28年の生涯【その3】 (3/3ページ)
(自刃は忠長の独断だったとする説もあり)
大信寺の境内にある忠長の墓石(大信寺HPより)
その後自刃から43回忌にあたる1675年、最後の場となった願行山大信寺に墓が建立された。大信寺には硯箱(すずりばこ)や水晶のつぼ、自刃に用いた短刀、自筆の手紙などが、姉の「千姫」によって寄進され位牌と共に保存されている。
正室である昌子は、忠長の自刃後に仏門に入り「北の丸殿」と称した。側室も数人いたとされるが実子の存在は確認されていない。
また、忠長の「菩提を弔って欲しい」との頼みに答え、忠長の死後、供養のために寺を建立した家臣の話も残っている。
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