滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」の伝説【その2】 (2/2ページ)

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布部山の戦いで尼子再興軍本陣があったとされる社日神社跡(Wikipediaより)

尼子家の旧本拠地、月山富田城を死守するため石見から15000の大軍を率いて進軍。対する再興軍は月山富田城から10㎞ほどの布部山に布陣。攻防戦となる。

地の利を生かして戦局を有利に進めた再興軍だったが、毛利軍の奇襲によって本陣は壊滅。毛利軍は月山富田城に入城し、再興軍は末次城まで撤退した。

その後、一時体制を立て直すも、1571年には毛利水軍の前に最後の拠点・新山城が陥落。尼子勝久は隠岐へ逃れ、幸盛は毛利軍に捕らえられた

毛利軍の吉川元春によって尾高城へ幽閉された幸盛は、毛利方の武将の助命によって所領の安堵が約束されたがこれを固辞。仮病を使って脱出に成功している。

幸盛と勝久は毛利軍から逃げ延びることに成功したが、尼子再興軍は壊滅。最初の再興計画はこうして潰えた。

【幸盛の武功】

末次城を拠点に順調に勢力を拡大した幸盛は月山富田城の攻略に取り掛かったが、石見地方の再興軍の苦戦を受け救援に向かう。出雲の原手辺りで刃を交えた両軍。幸盛は第一陣に自軍を配置し毛利軍を圧倒した。

また、1571年には長男である「幸元」が生まれている。母親ははっきりしていない。幸盛は幸元を播磨国別所氏の家臣黒田家に養子に出している。

【その3】へ続く

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