滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」の伝説【その2】 (1/2ページ)
尼子家の家臣として多くの武勲を残した「山中幸盛」。今回は【その1】に引き続き、「山陰の麒麟児」と謳われ、尼子家の再興と打倒・毛利に生涯を捧げた男「山中幸盛」の伝説をご紹介する。
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滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その1】 尼子家再興へ「第一次尼子家再興運動」尼子家滅亡後の幸盛の具体的な足取りは定かでない。しかし、1568年、幸盛は尼子家の旧家臣と共に、尼子家再興活動を本格化する。
幽閉された主君義久に変わり、尼子家一門の精鋭隊であった一族「新宮党」の尼子誠久の五男「勝久」を担ぎ1569年に挙兵。出雲国へ侵攻した。
島根半島から上陸した再興軍は宍道湖北岸に拠点(末次城)を築くことに成功。これを足掛かりに山陰地方に勢力を拡大してゆく。再興軍は順調に支城を攻略し、出雲国内で十数の城を落とした頃には6000程度の勢力になっていたという。
出雲の有力国人を味方につけながら勢力を伸ばす再興軍に危機感を抱いた毛利軍は、攻略中であった九州攻めを休止し、再興軍の討伐へと舵を切る。
