「これは作り話だ!」自分の伝記に不満?野口英雄がとった意外な反応

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「これは作り話だ!」自分の伝記に不満?野口英雄がとった意外な反応

偉大な功績を残して偉人と称される人たちは、後年その業績をたたえて「伝記」が書かれることは少なくありません。ただ、その多くが本人たちの死後に書かれたもの。

その「伝記」が果たしてどれだけ事実に基づいているのか、そして本人たちが気にいるできなのかどうかは知る由がありません。

けれど、生前中に自身の伝記が出版され、本人がその内容を確認できるケースが稀にあります。野口英世(のぐちひでよ)の場合もそうでした。

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細菌学の研究において、世界的にその名を広めた野口英世でしたが、晩年、ニューヨークに住んでいた彼の元に日本から一冊の本が送られてきました。その本の名前は『発見王野口英世』。野口の生涯を活字にした、彼に取ったら初めての伝記でした。

野口英世(Wikipediaより)

ところが、この本を読んだ野口は「これは作り話だ!」と一蹴したそうです。その理由は、その本が、野口のことを欠点がない完璧な人間としての描いた、美談ばかり書かれた内容だったからでした。

野口が偉大な功績をあげるまではきれいごとばかりではなく、本人にとっても後ろめたい出来事もたくさんあったわけで、そういう部分をまるでなかったかのようにして聖人のように書かれたことに対して不満を表したのです。

このエピソードは、1931年に日本を訪問し、綿密な取材をしたうえで”Noguchi”(邦題:野口英世伝)を書いた医師兼文筆家のグスタフ・エクスタインによって紹介されています。

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野口のこのような描かれ方が徐々に後に彼を偉人として持ち上げるようになっていくのでした。そして、昭和初期にもなると、野口は教科書に取り上げられるようになりました。

貧しい家の生まれから努力して偉くなったというエピソードが、当時の日本の教育において理想的な姿だったのでしょう。戦争が終わるとそれまでの偉人として中心的な存在だった乃木希典や東郷平八郎などの軍人が扱いづらくなり、その代わりとして台頭してきたのが野口英世だったのでした。

そのような時代の流れから、野口は本人の意に反して偉人として持ち上げられてしまったわけです。

参考

渡部毒楼『発見王野口英世』(1921 伊東出版部) 中山茂『野口英世』(1995 岩波書店)

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