7月25日は「かき氷」の日!夏の定番スイーツはなんと平安時代から千年もの歴史があるのだ
理由は、夏氷(なつごおり)を7・2・5で語呂合わせにしたもので、日本かき氷協会が制定しました。また、1933年(昭和8年)の7月25日に、山形県で40.8度という温度を記録したことにもちなんでいるそうです。
真夏の暑い日は、アイスクリームもいいけれど、喉を潤し体中に涼風を感じる、さっぱりとしたかき氷は最高ですよね!
かき氷の歴史は古く平安時代から愛されていた現代は、フルーツや生クリームでデコレーションしたもの・ふわふわの舌触りが自慢のものなど、さまざまな種類があるかき氷。甘味処だけではなく、カフェやレストランでも手軽に食べられるようになりました。
実は、かき氷の歴史は古く、平安時代から貴族の間で愛でられていたのはご存じでしょうか。かの『枕草子』(清少納言)にも、「削り氷(けずりひ)」という名前で登場しています。第四十二段の中に、
「あてなるもの」(上品なもの・よいもの)として、「削り氷に甘葛(あまずら)入れて 新しき鋺(かなまり)」に入れたる」……
という表現が登場しています。
現代風に訳すと、「削った氷に甘葛(蔦の樹液を煎じた汁で甘味料の一種)をかけ、新しい金属の器に入れた」というと感じでしょうか。
氷で冷えた金属椀にそっと頰を寄せ、ひんやり感を楽しみながら「ほっ…」とため息をつく。そんな、清少納言の姿が目に浮かぶようです。
氷は高価な貴重品!天然の冷蔵庫「氷室」に保管当時、氷は大変高価な貴重品でした。冷凍庫などあるわけもない時代だったので、真冬の間に天然氷を切り出し、山の洞窟奥などに作った「氷室(ひむろ)」と呼ばれる貯蔵庫に保管。
そして、夏になると平安京にある宮中に運んでいました。届いたその氷を削って「削り氷」として楽しむことができたのは、ごく一部の貴族だけだったのです。
上の写真の氷室神社は、奈良時代に春日奥山に造られた氷室に氷の神様を祀ったのが始まりです。その後、現在の場所に移築しました。今でも製氷業者からのあつい信仰を集めています。
かき氷を庶民が楽しめるようになったのは江戸末期〜明治時代かき氷が庶民の間でも食べられるようになったのは、平安の世から約1000年の長い歳月を経た、江戸末期の頃です。横浜に日本初のかき氷屋がオープンしました。
その後、明治に入り本格的な「氷水(こおりすい)」と「あいすくりん」の販売がスタート。かき氷は、涼を楽しむ夏の風物詩として庶民の間に広まっていったのです。
明治時代を代表する俳人・正岡子規の俳句には「かき氷」を詠んだものがいくつかあります。
氷売る 柳の陰の 出茶屋かな 涼しさや あつさや町の 氷みせ
明治28年頃は、氷をカンナで削り雪のようにコップに盛り付けてシロップをかけ供するようになりました。味の種類も増えていったようです。
当時、氷水が一銭(約200円)、氷イチゴ・ぶどう・レモンなどの味付きが2〜3銭で、その後ぐっと値上がりしていきました。
かき氷の美味しさは温度で変わる!かき氷は、削り出す氷の温度によって味わいが異なるのです。
表面が溶け出しているような氷は柔らかいので、刃を当てると薄く軽い状態のかき氷になります。そして、冷凍庫から出したてのガチガチに硬い氷を削ると、ジャリジャリした状態になるのです。
食べているうちに頭が痛くなる!…昭和のかき氷はそんな感じですよね。現代のかき氷はふわふわと軽いのが特徴で口どけも早く、頭に「き〜ん」とくることもないのです。
ここ数年は気温が高くなってきたせいか、おしゃれでふわふわの優しい口どけのかき氷よりも、ザクザクと食べる、「昔懐かしい昭和の冷たいかき氷のほうが食べたい!」という人もいます。
かき7月25日は、自宅でかき氷を楽しもう!「家で過ごす・家で楽しむ」ことが多くなった今日この頃。7月25日のかき氷の日は、自宅でオリジナルのかき氷を作ってみませんか?暑い日中に、わざわざベランダや庭など外で作るのも楽しいですよ!
お好みのシロップをかけ、果物やアイスクリームなどをトッピングして豪華に! 抹茶シロップとあずきや白玉をトッピングして和風に 平安貴族のように、金属のお椀にシンプルに蜜だけかけて ジャリジャリ氷に、オーソドックスないちごやメロンなどのシロップをかけて昭和風になど、お好みでアレンジして冷たい夏を楽しんでくださいね!
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