永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その3】 (2/2ページ)

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第四次川中島合戦

永禄2年(1559)、将軍足利義輝に拝謁し、関東管領就任を正式に許された上杉謙信は、翌年、大義名分を得て関東平定の足掛かりに小田原へと出陣します。その数は10万にも膨れ上がったそう。

北条氏康は、決戦を避けて小田原城に籠城した。永禄4年(1561年)3月に謙信は小田原城を包囲するも、守りが堅く攻めあぐねていました。

第4次川中島の戦い Wikipediaより

攻められている北条氏康は同盟者の武田信玄に助けを求めます。上杉の本拠地越後に謙信不在ということもあり、これをチャンスと見た武田信玄は早速北信濃に侵攻。川中島の地に海津城を築き、謙信を動揺させます。

こうして起こったのが第四次川中島合戦です。

のんきに小田原攻めをしている場合ではなくなった上杉軍は、とりあえず小田原攻めを中断し、越後へとんぼ返り。同年8月、善光寺を経由して妻女山に布陣し、武田の海津城と対峙しました。

次回へ続く

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