永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その3】 (1/2ページ)

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永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その3】

戦国史上でも人気の高い合戦の一つ、川中島(かわなかじま)の戦いがどういう戦いだったのかを、前回に引き続き、振り返るシリーズです。

これまでの記事

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その1】

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その2】

第三次川中島合戦

第二次合戦時に和睦し北信濃の領地を返したにもかかわらず、信玄は越後の積雪をチャンスと見て、その隙に北信濃の侵攻を進めていました。

弘治3年(1557年)4月18日、そうした武田勢の動きを見捨てておけなくなった上杉謙信は、返り討ちのために自ら長野盆地へ出陣。4月から6月までの2か月間をかけて北信濃の武田方の諸城を落とし、武田勢攻略を進めます。

7月には尼飾城を責めますが、武田軍はまたもや決戦を避けて逃げたため、お互い大きな戦果もなく秋には双方引き揚げました。

結局は京での内紛により追放された室町幕府の13代将軍足利義輝が、自身の救済もかけて川中島合戦の仲裁に入り、将軍の計らいという名目で強制的に和睦調停を結んだのでした。

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