「解散しても不朽」石原裕次郎と石原軍団「感動の人情伝説」 (2/3ページ)

日刊大衆

偶然、裕次郎と同じ12月28日生まれで7歳下の渡は、64年に日活に入った。

「新人時代の渡さんは、撮影所の食堂で食事をしていた大スター・裕次郎さんに挨拶に行った。このとき、裕次郎さんは立ち上がって“君が新人の渡君ですか、頑張ってくださいね”と、自ら手を差し出した。以来、渡さんにとって裕次郎さんは特別な存在となります」(当時の映画関係者)

 約5年がたち、日活のスター俳優に成長した渡は、裕次郎の苦境を耳にして、居ても立ってもいられなくなったのだ。

「渡さんが、“社員の皆さんのお茶代にでも使ってください”と当時の全財産だった現金を裕次郎さんに差し出し、石原プロ入社を申し出たという話は伝説化しています」(前同)

 石原プロに移籍した渡は自社作品に限らず多くの作品に出演し、身を粉にして働いた。だが、渡には、俳優として葛藤もあった。

「東映から、“ポスト高倉健”として熱烈なラブコールを受けていたんです」(前出の編集者)

 確かに、東映作品のカラーは、渡の俳優としての個性にマッチする。

「『仁義なき戦い』(73年)で菅原文太が演じた役は、渡の起用が想定されていました。心は揺れたようですが、結局、渡は『仁義の墓場』(75年)など東映作品2本に出演するも、石原プロに留まった」(前同)

舘ひろしの合流

 一方、裕次郎は72年から東宝制作のテレビドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)にボス役で主演。

「初のドラマ出演で、裕次郎はテレビの影響力の大きさを実感。

「「解散しても不朽」石原裕次郎と石原軍団「感動の人情伝説」」のページです。デイリーニュースオンラインは、渡哲也舘ひろし石原裕次郎エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る