奇跡の復活V! 照ノ富士が本誌にだけ語っていた胸中「どうせ自分は…」 (2/2ページ)

日刊大衆

自分だって人間ですからね……〉

 照ノ富士もまた、このとき深い傷を負っていたのだ。〈13日目、古傷を痛めてしまったのは自分の責任ですし、そういうことを人前で言うべきじゃないと思っていました〉〈どうせ自分はヒール(悪役)だから、何を言っても通用しないでしょ(笑)〉

■糖尿病、C型肝炎、腎臓結石まで

 そんな無理がたたってか、17年9月に大関陥落。すでに満身創痍の状態だった。〈大関から落ちることが決まった時点で、引退を決意して、師匠(伊勢ケ浜親方)に、「辞めさせてください」と言いに行ったんです。もともと膝の負傷がありましたけど、検査を受けたら、糖尿病、C型肝炎、腎臓結石まで見つかったことが大きかった。医者には、「入院して、ちゃんと治療をしなければ、あと2〜3年で死んでしまいますよ」とまで言われて……〉

 師匠の引き留めで引退は考え直すが、十両で負け越し。以降、全休が続き、19年春場所には序二段まで番付を下げてしまう。〈師匠には5〜6回、“引退させてほしい”と言いました。だけど、師匠から、こう言われたんです。「これから生きていくためにも、ちゃんと体を治しなさい。すべては、それからだ」って〉

 そこで、これまでの不摂生を見直し、ゼロからやり直す決意を固めた照ノ富士。17年5月の本誌インタビューでは、今にも通ずる胸中を語っている。〈自分が大関に上がった頃は、メディアを含め、たくさんの人がチヤホヤしてくれたこともありました。でも、ケガをしたら、周囲から人が……。自分はそうした時期も変わらず応援してくれた人たちを忘れないし、ずっと大切にしていきたい。そういう人たちのために一番一番、頑張りたい。自分が、どこまで行けるか試してみたいんです〉

 苦難を経て、再び角界のスターに躍り出た照ノ富士。さらなる飛躍を願う!

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