横浜DeNA次期監督に石井琢朗氏が浮上! 菅新総理が後押し (2/3ページ)

週刊実話

1年目に初先発初勝利を挙げて将来を嘱望されたものの、大きな結果を残せず、3年目のオフに野手転向すると、’96年には遊撃手として花開き、そこからはスター街道を歩んだ。

 1番打者に定着し、波留敏夫との1、2番コンビで「マシンガン打線」を牽引。盗塁王4回、最多安打2回、ベストナイン5回。’98年の日本シリーズでは優秀選手賞も獲得している。

「’96年は、菅氏が衆議院選挙に初当選した年。菅氏と石井氏は苦労した時代がかぶり、それだけ思い入れが強い。実は、菅氏も中学時代は野球部に所属し、サードで1番だった。しかし、高校では通学に片道2時かかり、部活は続けられなかったらしい。そんな無念さもあり、石井氏にはいずれは横浜に戻ってもらい、黄金時代の再来を期待している。ベイスターズが盛り上がれば、地域経済に波及する。我々も全面的に支える考えだ」(同)

 菅氏が「戻ってほしい」と願うのは、晩年の石井氏が横浜と袂を分かち、微妙な関係にあるからだ。38歳の’08年に引退勧告されたが、現役続行を希望し、自由契約で広島入り。カープで4シーズン現役を続け、’13年から4年間、一軍内野守備・走塁コーチ、打撃コーチとしてカープの優勝に貢献した。

 この間、田中広輔、菊池涼介、丸佳浩の“タナキクマル”を育てた名コーチとなるも、フジテレビ元アナウンサーの詩織夫人(旧姓・荒瀬)と3人の子供を東京に残していることから関東の球団へ転身を図った石井氏。その際も、横浜だけはスルーした。

「’18年と’19年はヤクルトの一軍打撃コーチを務め、高卒2年目の村上宗隆を一軍に定着させ、チーム打率をリーグ最下位からトップに引き上げた。今季は原辰徳監督の強い希望もあり、巨人の一軍野手総合コーチに就任し、首位独走の“影の功労者”と言われている」(スポーツ紙デスク)

 また、球界事情通によれば、「広島を退団して東京に戻る際、本命はヤクルトではなく巨人だった」というが、丸に続いて菊池、田中をFAで獲得する布石と広島が警戒し反発。「ヤクルトなら」と折れたという。

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