武田真治の筋肉ブレイクのキッカケ!? 伝説のロックスターとの出会い

日刊大衆

武田真治
武田真治

 俳優の武田真治(47)が、9月4日放送の紀行番組『アナザースカイⅡ』(日本テレビ系)に出演。ゲストが自身の第二の故郷と呼べる場所など、世界の何処かを訪れる同番組だが、武田は鹿児島を訪れた。

「武田が、鹿児島を訪れたのは、2009年に亡くなった忌野清志郎さんとの思い出が詰まった場所だからだといいます。武田は俳優・タレントとして活躍していますが、サックスプレイヤーとしてもアルバムを発売するなど、バリバリのミュージシャンでもある。

 実は、武田は清志郎さんとバンドをやっていたこともある。その時、一緒に回った“マジカデ・ミル・スター・ツアー 2000”の初日の公演が行われたのが鹿児島でした」(芸能記者)

■豪華すぎるメンバーとのバンド

 武田は『ラフィータフィー』というバンドで清志郎さんとツアーを回った。武田以外のメンバーは、沢田研二(72)のバックバンド・エキゾティクスなどの活躍で知られるドラムの上原裕(66)。ベースにはLittle Screaming Revueにも参加した、故・藤井裕さん。そしてギターには、ブームタウン・ラッツの活動で知られるジョニー・フィンガーズ(67)がいた。

 清志郎さんとの縁で錚々たるメンバーと音を交えたという武田。その清志郎さんとの縁は、どこで生まれたものだったのか。

「俳優の竹中直人(64)に誘われ、清志郎さんのプライベートスタジオ“ロックンロール研究所”を武田が訪れたことがキッカケだといいます。武田は、スタジオにあったサックスを吹き、清志郎さんのギターとセッションしたのが初めての出会いだった、とバラエティー番組で語っています」(前出の芸能記者)

■顎の痛みがあっても「それでもいいよ」

 武田は、1989年にジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを受賞。1994年放送のドラマ 『南くんの恋人』(テレビ朝日系)では主演を務め、同年放送の『若者のすべて』(フジテレビ系)の青柳圭介役でもインパクトを残した。

 また、バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)には、1996年の番組開始当初から2018年3月の番組終了まで出演し、バラエティでのキャラクターも視聴者に親しまれた。

「若くして成功した武田ですが、華々しい表舞台とは裏腹に、体は徐々に限界がきていたそうです。そして、顎関節症を患い、大好きなサックスが吹けなくなるまで体調は悪化。うつ状態になり、『めちゃイケ』以外の仕事をほとんどできなくなったそうです」(前出の芸能記者)

 そんなボロボロの状態だったときに出会ったのが、清志郎さんだった。ロックンロール研究所でのセッション、デモテープ作りを経て、清志郎さんは顎関節症でサックスがあまり吹けなくなっていた武田をバンドに誘ったという。

「『アナザースカイ』で武田が語ったところによると、“顎痛いんでそんなに戦力になれません”と清志郎さんに説明したものの、“それでもいいよ”と言われ、ラフィータフィーへの参加が決まったそうです」(前同)

■まるで別人のような音楽人・武田

 武田のラフィータフィーのメンバーとしての活躍ぶりは、アルバム『夏の十字架』や『秋の十字架』、ツアーの様子は2001年公開のドキュメント映画『不確かなメロディー』で楽しむことができる。

「武田は、バラエティー番組などでは明るくふるまっている印象がありますが、『不確かなメロディー』のインタビューパートでは、まるで別人。同一人物と思えないほど暗く、嫌そうな顔をしてしゃべっているように見えます。

 ただ、ステージに立ってアグレッシブにサックスを吹く姿や、ホテルで清志郎さんたちと集まっているときの武田は、優しく温かみがある表情を浮かべているんです。当時の武田にとって、どれほどバンドをやっている時間が愛おしくて、清志郎さんとの時間を大切にしていたかを感じ取れます」(音楽ライター)

■再ブレイクのキッカケも

 9月4日の『アナザースカイ』で、武田は自転車に乗って、鹿児島の天空の森という場所を訪れた。

「武田は、バンド活動だけでなく、清志郎さんの自転車チームLSDにも参加していました。このチームで2001年、東京・日本橋から鹿児島の約1420kmを自転車で走破する旅をしたんです。そのゴール地点が、番組で武田が訪れた天空の森という場所です」(前出の芸能記者)

 2018年に放送され、今年8月にも新シリーズが放送された人気番組『みんなで筋肉体操』(NHK)。武田の再ブレイクのきっかけになった番組だが、ここにも清志郎さんの影響があるという。

「武田は『アナザースカイ』で、それまでまったく運動をしていなかったものの、清志郎さんと自転車で走ったことをきっかけに、体を鍛え始めて、現在の肉体美につながったといいます。武田も言っていましたが、もし清志郎さんがいなければ、再ブレイクはなかったかもしれませんね」(前同)

■武田は「すげえ、いい奴なんだ」

 番組で武田は「ちょっとした失敗が許せなくて、芸能界のお仕事とか勝手に疲れていっちゃった」と若き日の自分を振り返っている。

「1月11日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)でも清志郎さんとの思い出を振り返った武田は、“失敗しても新たに踏み出せば良い”という価値観に変わったと語っています」(前出の芸能記者)

 一方で、清志郎さんは武田をどう思っていたのだろうか。

「清志郎さんは著書『瀕死の双六問屋』(小学館)で、武田は夜に弱いやつだったと説明。清志郎さんは深夜にレコーディングをしていたそうですが、武田は到着して5分程度で就寝。そのままレコーディングを終えて、武田を起こそうとすると、“テープを下さい。いい曲ですね”と聞いてもいない曲を評価するそうです。こうした武田を清志郎さんは“すげえ、いい奴なんだ”と紹介しています」(前出の音楽ライター)

■「彼の目には世界の広さが見えてるんだと思うね」

 前出の音楽ライターは続ける。

「起床した武田は、清志郎さんからテープとコード譜を受け取ってバイクで走り去ったそうで、その姿を見た清志郎さんは“すげえカリスマチックしてるぜ”とし、“彼の目には世界の広さが見えてるんだと思うね”と評していました。

 武田と清志郎さんは20歳ほど年齢が離れていましたが、“(世代間の)ギャップが楽しいですよ、言葉なんかも違うし”とラジオ番組で話しています。清志郎さんも歳の離れた武田との交流を楽しんでいたようですね」

■歌詞にも…

 ラフィータフィーのアルバム『夏の十字架』のオープニングナンバー「お元気ですかマーコさん?」には「武田君」も一緒に旅に出る、というように、武田の名前が登場するフレーズがある。

「歌詞にまで出てくるなんて、清志郎さんの遊び心もあるでしょうけど、よっぽど武田がかわいかったんじゃないでしょうか。清志郎さんも、かつてRCサクセションがフォークグループからロックバンドに移行する過渡期に、不遇の時代があったといいます。自身も辛い思いをしたからこそ、若くして苦しんでいた武田にシンパシーを感じて、音楽で救ったのではないでしょうか」(前出の音楽ライター)

 武田は仲井戸麗市(69)、三宅伸治(59)らと同じく、清志郎さんの魅力を伝えられる貴重な存在。これからも思う存分、思い出を語り続けてほしい!

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