名前がもっている神秘と永遠ーー名前にはどんな意味があるのか

心に残る家族葬

名前がもっている神秘と永遠ーー名前にはどんな意味があるのか

イギリス・ケンブリッジ大学の近くに、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889〜1951)の墓がある。著名な人物の墓には銅像やら功績を讃える説明文などがあるものだが、その墓石には「Ludwig Wittgenstein 1889-1951」とだけ刻まれている。「20世紀最大の哲学者」とも言われる人物の墓にしては実に簡素なものだ。しかし彼の人物や人生を知る者には、彼らしいと思える。なぜ「らしい」のか。名前とはただのラベルではない。墓に刻まれた名前には、その人のすべてが宿っている。

■墓碑銘となった大坂なおみ選手の7人のマスク

今年2020年の全米オープンテニスで大坂なおみ選手が2度目の優勝を果たした。大坂選手は今大会、マスクに人名を書いてプレイしたことが大きな話題となった。アメリカ国内の警官に命を奪われた黒人たちの名前であり、その名前は試合ごとに変わっていた。自らも黒人の血が流れる者として反黒人差別を訴えるための行動であった。

黒人差別問題は一様には言えない面があり、大坂選手の思想・行動を考えなく手放しに賛美するわけにはいかない。本稿で着目したいのは、大坂選手が死者の写真ではなく名前を選んだことである。大坂選手が彼らの遺影を掲げて入場すればかなりのインパクトだったはずである。何故名前だったのか。

■名前とは、その人そのもの、その人の全てをあらわす

70年代にヒットした漫画作品「男組」(原作 雁屋哲/作画 池上遼一)は、反骨の若者たちが日本を支配する黒幕に戦いを挑む物語である。終盤に近づいてくると主要人物が次第に命を落とす展開となっていくが、その際のサブタイトルがその人物の名前であった。彼らの最期をドラマチックに彩るタイトルはいくらでも付けられただろうが、その究極はやはり彼らの名前だった。名前にはその人物のすべてが込められているからである。

これらの名前はいずれも墓碑銘を思わせる。大概の墓には名前が刻まれている。著名な人物であれば「偉大な〇〇ここに眠る」云々の文章が添えられていることもあるが、ほとんどは名前の生没年月日が明記されているだけである。そしてそれで充分なのである。名前とは形を変えたその人そのものだからだ。

■名前の価値 名前が遺す記憶

名前なんて他のものと区別するラベルみたいなものではないかと言いたくなるもしれない。しかし、もし愛しい人との在りし日が浮かんでいるのに、名前だけが思い出せなかったらなんと悲しいことだろう。アニメ映画「君の名は。」のクライマックスは、確かに存在した「君」の名前だけが思い出せないとの場面が展開される。名前なんかなくても「君」との日々が記憶にあればよい。というわけには、やはりいかないのだ。
逆に名前さえ覚えていればそれが心の栞になる。

■名前が支える生

哲学者・村岡晋一は子供の頃に飼っていた犬の姿形を細かくは覚えてないが「チロ」という名前に思い出が込められていると述べる。なぜ名前はそれほど大切なのか。村岡はこのチロの思い出を振り返っている。

チロが病気になり苦しんでいることで悲しむ自分に父親が「また代わりの犬をもらってきてやる」と慰めた。しかしチロに代わりがいるはずがない。幼い村岡にはその「かけがえのなさ」を訴える術が見つからなかった。「かわいい」「やさしい」では返って「代わりがきく」ことを証明してしまう。「かわいい」「やさしい」なら他の犬にも、他の動物、人間にもいえることだからだ。村岡は父にこう訴えた。「だってチロはチロなんだから」。そして村岡はこのようにまとめた。

「チロに「死後の生」というものがあるなら、それはもっぱら『チロ』という名前によって支えられている」(「名前の哲学」講談社)

■名前はラベルや記号ではない 名前とその人は同一視される

古来より名前には神秘的な力を持つとされてきた。名前はその人の分身であり、軽々しく口にすることは憚られた。ユダヤの唯一神は「ヤハウェ」「エホバ」などと呼ばれているが、真のの発音は不明である。神の名前はあまりに憚られため、いつしか伝えられなくなったのである。中国や日本でも名前を口にすることは忌むこととされた。名前は呪詛に使われるからだ。名前は単なる記号ではなく、その人そのものであった。だから名前を呪うことはその人を呪うことと同じなのである。

名前とその人間を同一視する、名と体は同じものとする思想の究極が「南無阿弥陀仏」である。浄土系仏教では「南無阿弥陀仏」の六文字を最重視する(六字名号)。南無は「帰依する」という意味で、全体の意味としては「阿弥陀仏に帰依します」となるが、名号とは阿弥陀仏が我々のような凡夫にわかりやすく認識できるように言葉として現れたものであるとされる。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏それ自身である。これを「名体不二」という。これにより浄土系の中でも浄土真宗では名号が阿弥陀像や阿弥陀図の他、本尊として祀られる場合があるほどである。

このような歴史が大坂選手の行動や村岡の体験につながる。名前に対する、記号・ラベル以上の特別な思いは科学的世界観が支配する現代においても息づいているのである。

■名前の奇跡

シェイクスピア(1564〜1616)は言葉の永遠性を熱く語っている。

「真鍮板も、石碑も、大地も、はてしない海も、どの力も、結局はおぞましい死に屈服するほかない」
「どんな強い手が時のすみやかな足をを引きとめられよう。時が美を滅ぼすのをだれに禁じることができよう。
できはしない、わが愛するものが、黒いインクのなかで、永遠に輝き続けるという奇跡が生じぬかぎりは」(ソネット 65番より)

墓に手を合わせるとき、そこに刻まれている名前はただの文字ではない。形を変えた、そして永遠に残るその人そのものなのである。

■追記

子供を虐待する親が増えているという。死に至らしめてしまう最悪の事態に発展することも少なくない。しかし、その親も子に名を付けるときは愛情を込めて、幸せを願って、その名を考えたはずだ。犠牲になった子供たちの名前には美しい字であったり、愛情を感じられる意味が込められているように思える。決して番号札を貼るように付けたはずはないと信じたい。もし、子供への愛情を見失いつつある時には、わが子の名前を噛みしめて、わが子に名前を付けたときの気持ちを思い出してほしいと切に願うものである。

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