川崎市青少年の家のそばにある「お化け灯篭」について調べてみた (3/4ページ)

心に残る家族葬

その頃、松竹映画の『船頭小唄』が流行っており、六本木にあった映画館から毎夜聞こえてくるジンタ(音楽隊)の音色に五所は、「囲みの中にいる兵隊の悲哀を切なく味わった」と、後に述懐している。

不思議なことに、灯籠が赤坂にあった頃は先に挙げた噂話は存在せず、川崎に移ってから聞かれるようになったというが、もともと農村地帯だったところに、いきなり「兵隊」たちが有無を言わさず占拠し、その兵隊たちにしても、みんながみんな、積極的に「お国のために」身を捧げるべく入営したとは限らず、「死にたくない」「家に帰りたい」、そして五所平之助のように、囲みの「外」を思い浮かべながら、「自由になりたい」…と思っていた人々も少なくなかったことだろう。そうした時、施設に置かれている「お化け」のような灯籠はかつて、赤坂や六本木を夜、自由に歩き回っていた。しかし「お上」におよって、歩き回れないように、自分たちと「同じように」自由を奪われる格好で、「下半身」を切り落とされたり、土の下に埋められたりした、というように、兵隊たちや地元の人々が話を「作った」のではないだろうか。

■最後に…

人類の歴史において、明るく輝かしい「過去」も多く存在するが、戦争に限らず、人が生きているこの世から、どんなに科学技術が発達しても、地震・台風・干ばつ・疫病の流行などの災厄から、人は決して逃れることはできない。それゆえ、暗く沈鬱な「過去」も同時に存在する。漫画やアニメのモデルになったりするような、人間の心の支えとなる、楽しくてかわいらしい「お化け」ばかりでなく、怖い「お化け」の存在。そしてそのお化けの「怖さ」を形づくる社会背景や存在意義についても、我々は目を背けてはならないのだ。

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