笠井信輔「悪性リンパ腫」のステージを秘密にした理由と闘病生活を語る

アサ芸プラス

笠井信輔「悪性リンパ腫」のステージを秘密にした理由と闘病生活を語る

テリー でも、ステージIVっていう情報は、あまり出てなかったですよね。まったく知らなかったです。

笠井 それは僕と妻と長男の秘密にしてたんです。

テリー あ、そうなんだ。

笠井 息子は3人いるんですけど、弟2人にも、僕の両親にも言いませんでした。

テリー どうしてですか。

笠井 ステージIVと聞くと、なんとなく「もうダメか」と思われるのではないかと‥‥。それが嫌だったんです。僕は絶対に戻ってくるつもりでしたから。

テリー 確かに自分は闘うつもりなのに、周りが諦めてたら嫌ですよね。

笠井 あと、やっぱりテレビってどうしても印象のメディアですから。どんなに説明しても、発表すると「ステージIV」という言葉だけが悪いほうに独り歩きしてしまうのではないかと思いました。ですから病名とか、細かい情報はいろいろお伝えしましたけれど、退院して完全寛解するまで「ステージIV」は内緒にしようと。

テリー そうか、だから知らなかったのか。言われてみれば、入院中もブログやインスタで情報を発信されていて、「笠井さん、思ったより元気そうだな」って印象でしたよね。でも、治療は大変だったんですよね。

笠井 そうですね。悪性リンパ腫は、がん細胞が血液の中を循環してますから、手術ができなくて、抗がん剤治療など化学療法しかないそうです。しかも僕の場合は、1回につき24時間、5日間連続で抗がん剤を投与するのがひとつの単位で、入院をしてそれを6回やったんですけど、これがあまりないパターンなんです。普通は1回につき3時間を1泊2日で投与するとか、通院でやる方が多いですから。

テリー ということは、かなり体に負担がかかる。

笠井 とにかくダルいし、何もしたくなくて、倦怠感はスゴかったですね。また、すぐ目が覚めてしまって、眠れないんですよ。なかなか朝が来ないのはキツかったですね。

テリー そうですよねぇ。

笠井 あとは途中から味覚障害が起きて、食べてもなんでも甘く感じてしまう。手先のしびれもヒドくて、ペットボトルのフタを開けられなくなったんです。それで看護師さんを呼んで、「すみません、開けてください」って。こっちはいくらやっても開かないのに、女性の看護師さんが簡単に開けちゃうんですから、情けないですよ。

テリー そういうのが全て抗がん剤の副作用だったんですね。

笠井 ただ僕のブログに抗がん剤治療を通院でしてる方々のコメントがたくさん寄せられまして。通院の方は例えば1泊2日で普通の生活に戻るんです。つまり、副作用と闘いながら、家族の世話をしたり、仕事に行ったりしてるわけですよ。

テリー わぁ‥‥。

笠井 だから皆さん「5日連続なんて大丈夫ですか」って僕を心配してくれたんですが、こっちからすると、そんな状態で日常生活をしてる方たちのほうが信じられなくて。僕は入院で、ある意味寝てるだけですから、まだ楽なのかなと。そんなふうに自分を励ました部分もありました。

テリー 入院中、ずっとネットで状態を発信されてましたよね。あれは、どういう思いからだったんですか。

笠井 これはいろんなところでもお話しさせてもらったんですけど。僕は33年間、ずっと伝え手として有名人や芸能人といった方々のプライバシーも伝えてきました。当然ですが、その中にはその方が伝えてほしくない情報もあったわけです。ですから、自分の時だけ「がんのお話は勘弁‥‥」というのは都合がよすぎるなと。伝え手として、自分のこともきちんとお伝えしなきゃいけないと思ったんです。

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