戦国時代、謀殺されて怨霊となったアイヌの首領・ショヤコウジ兄弟のエピソード (2/4ページ)
(※史料によって永正十六1519年とする記録もありますが、光広はその前年に亡くなっているため、ここでは永正十二年説を採りました)
ショヤコウジ兄弟が戦争を挑んだ理由については不詳ですが、おおかた利権の対立か、蠣崎領の守備が手薄だったのか、その隙を衝いて縄張りを広げようとでもしたのでしょう。
よくアイヌの歴史について語る時、こと和人(あるいは和人寄りの蝦夷など)との関係性において「搾取と迫害に追い詰められて決起した」的な論調が目立つものの、アイヌだって常に「和人支配に虐げられるばかりの弱者」ではなく、積極攻勢に出ることも間々ありました。
追い詰められた光広は……。実際、アイヌの軍勢は勇猛果敢に戦い、和人側もしばしば苦しめられています。
「退け、退け……っ!」
ショヤコウジ兄弟らの攻勢を防ぎきれず、蠣崎勢はジリジリと後退。他家の援軍もあてにできず、このままでは全滅です。
「……かくなる上は!」
光広は一計を案じ、ショヤコウジ兄弟に対して和睦を申し入れました。
「つきましては皆様をおもてなし致したく、また献上品などもございますので、是非とも松前(現:北海道松前町)までお越し下さいませ……」
これで渡島半島は我らが支配下に統一された……蠣崎家からのご招待を受けて、ショヤコウジ兄弟はご満悦です。