婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【後編】 (2/3ページ)
監禁の事実を知らない信長は、官兵衛の翻意を疑い人質としていた息子「松寿丸」の処刑を命じるが、半兵衛は機転によって松寿丸を密かに匿った。
救出された官兵衛は半兵衛に匿われていた松寿丸と再会。半兵衛がすでに他界していることを知った官兵衛は、竹中家の家紋を愛用し、半兵衛の息子「重門(しげかど)」の加冠を務めるなど、半兵衛に対する感謝の意を示したという。
この2人は共に秀吉の元で軍師(参謀)として活躍したことから、「両兵衛(りょうべえ)」と称されている。
半兵衛と共に「両兵衛」と称された黒田孝高(官兵衛)Wikipediaより
容姿や性格の特徴江戸時代に成立した逸話集「常山紀談」や豊臣秀吉の伝記「太閤記」は、半兵衛の容姿を「体が弱く、色白で体躯は婦人のようであった」と表現している。
半兵衛が自身の容姿に劣等感を抱いていた確証はないが、斉藤家家臣の斉藤飛騨守から容姿を理由に侮られたエピソードが伝わっており、そのことが後の稲葉山城乗っ取り事件に繋がったとする見解もある。
中性的なイメージが先行し、おとなしい優男であったと理解されがちな半兵衛だが、上述のように武士らしい熱血漢的側面もあったのかもしれない。
墓所兵庫県三木市「三木平井山観光ぶどう園」内には墓所が存在する。