沢田研二、萩原健一、堺正章…夢と熱狂のグループサウンズ「感動秘話」と「現在」 (3/4ページ)
芸能プロモーターの野田義治氏は、こう証言する。
「ショーケンは天才でした。メロディを外しても、それが絵になり、歌い終わると1曲が完成していた」
萩原には、こんな逸話も。
「俳優に転向する岸部一徳からアドバイスを求められた際、“笠智衆さんのような役者を目指せばいい”と言ったとか。その助言に従い、笠のような一本調子の芝居をすることで、一徳は売れっ子俳優になったんです」(放送作家)
気になるのは、沢田、萩原が双方のグループの解散後の71年に結成した『PYG』というバンドが、わずか1年で空中分解となったこと。2人の関係は、どうだったのか。
「仲がいいというわけではなかった。でも、お互いを認め合っていたのは確かでしょう」(前出の石川氏)
唯一無二のライバル関係だったのだ。
「ショーケンは“ジュリーは僕のライバルですから”と発言。一方、ジュリーは昨年、ショーケン他界後に、“あいつが大好きだった”とメッセージを送っています」(スポーツ紙記者)
■ブームのきっかけを作ったザ・スパイダース
GSブームの最盛期は67年から69年までの間だったが、65年にデビューしてブームのきっかけを作ったのが、『ザ・スパイダース』。
「メンバーは、今は芸能プロ社長で当時はドラマーだった田辺昭知さん(81=現・田邊)が、まるで映画『七人の侍』のように、見込んだ人物を一人ずつ集めていったんです。だから、堺正章(74)、かまやつひろし(享年78)、井上順(73)ら、個性と実力を兼ね添えたメンバーぞろいなんです」(前同)
喜劇役者・堺駿二の子息である堺が加入したのは、まだ16歳の頃だった。
「当時から三つぞろえのスーツを着たオシャレな少年だったとか。そのセンスの良さや、父親譲りのタレント性を田辺さんは見込んでいたんでしょう」(同)
なお、スパイダースは、17年に逝去したかまやつの「お別れの会」で再結成された。