黄金の“ミリオンセラー歌姫”を総直撃<沢田知可子「会いたい」>きっかけは沖縄の抗争事件だった (2/2ページ)

アサ芸プラス

 そして翌秋に全日本有線放送大賞でグランプリを受賞し、年末の紅白歌合戦に初出場したあと、念願のミリオン超えを果たした。

「それから数年、『会いたい』の人として動けなくなってしまった。若かった私は悩み、レコード会社を辞めることにしたんです」

 だが、業界の暗黙の掟が行く手を阻む。レコード会社から裁判を起こされ、3年間メディアから姿を消すこととなるのだ。

「当時は『二度と表舞台に出られないようにする』くらいのことを言われましたから(笑)。やっと外資系のレコード会社に移籍できたのは94年。でも、外資系ゆえの実売主義の厳しさを目の当たりにしました」

 00年代初頭には事務所のリストラ、レコード会社倒産の憂き目にあい、貯金はゼロに向け加速した。転機は、04年に新潟中越地震のチャリティーコンサートに出演して「会いたい」を歌った瞬間、同曲の使命を見いだしたことだった。

「私は、これからこの曲を『鎮魂歌』として歌うべきなのだと。それが現在まで続くコンサート『歌セラピー』の原型です」

 14年には作詞家の沢に裁判を起こされたが、「家族がいて、この曲を歌う使命がみなぎっていたおかげで、気持ちを強く持つことができた」と振り返る。今年は同曲から30年の節目、11月26日にニューアルバム「会縁奇縁涙曜日」を発売する。

「これからも『会いたい』を、新鮮なまま、皆様にお届けしたいですね」

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