ムスリム土葬問題は住民が譲歩するか決裂するかのどちらかだろう (2/3ページ)

心に残る家族葬



■マイノリティーとしての作法

「自分たちを理解してもらう」この文言には自分側が譲る要素、対話の相手の考えを理解しようとする態度が入っていない。理解してもらうには、まず自分たちが相手を理解しなければならないのだが、マイノリティーに属する人たちは、少しでも譲ってしまうとアイデンティティの崩壊につながる恐怖に陥っているのかもしれない。マイノリティーがまずするべきことは、その共同体の価値観を学び、自分たちがなぜ異端とされているのかを自覚すること。ムスリムなら日本人の宗教観、死生観を理解することである。しかし、見通しは暗いと言わざるをえない。この問題は人間同士の問題ではなく、人間と神の問題だからである。

■イスラム教と主権在神

イスラム教では最後の審判により天国行きと地獄落ちが決まる。それまでは墓で眠っている状態だとされ、墓は仮住まいといえる。火葬にされると復活する肉体が消滅してしまい審判を受けることができなくなるというわけだ。根本聖典「クルアーン」には直接火葬禁止とは書かれてはいないが、復活に備えての土葬から導き出された結論のようである。また地獄の業火と同じものを連想するらしく、ムスリムにとって土葬は絶対に譲れない。日本では土葬は違法ではないが、ほぼ全員と言ってもいいほどに火葬が行われている。衛生面・疫病の問題などを考えると、高温多湿でありコロナ渦の現代日本において土葬は相当無理がある。しかし死後の運命がかかっているムスリムにはそのような事情は無意味である。「その程度で復活させることもできない神の力ってそんなものか」「器の小さい神様」などの声がインターネットなどで散見されるが、いずれも人間の論理である。神がそう言ったからそうなのだ。神の言葉は完全無欠である。人間は神の奴隷であり、人間側から異議を申し立てることは一切許されない。一神教においてすべての権利は神にある。イスラム思想学者・飯山陽が言う「主権在神」なのだ。しかしキリスト教も一神教だが、イエス・キリストの神性について議論が分かれるなど良く言えば柔軟、悪く言えばスキがある。イスラム教のアッラー一元主義にはスキがない。飯山はこの点を「完成された宗教」「宗教の最終形」と呼んでいる。土葬問題もここに行き着く。
「ムスリム土葬問題は住民が譲歩するか決裂するかのどちらかだろう」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る