ムスリム土葬問題は住民が譲歩するか決裂するかのどちらかだろう (3/3ページ)

心に残る家族葬

彼らは絶対に譲らない、たとえ個人の心情としては譲りたい人がいたとしても譲れないのである。

■日本人の宗教観と認識不足

これらの事実を多くの日本人は理解できない。ムスリム土葬問題について「郷に入れば郷に従え」との声が散見されるが神の完全性についての認識が不足している。

よく日本人は神社でお宮参りや七五三を祝い、クリスマスやハローウィンを楽しみ、教会で結婚式を挙げて仏式で葬式を行うなどと揶揄される。日本の宗教史は神仏習合の歴史である。外来宗教である仏教を受け入れ、その仏教の影響を受けて素朴な天神地祇への信仰が神道として確立された。神道の最高主宰者・天皇は同時に仏教の保護者でもあった。「和をもって尊しとなす」の精神の賜物だろう。現在においても、何らかの仏教宗派の檀家であり、盆や初詣には参拝に行く。しかし特定の宗教は持たない。この矛盾を矛盾と感じない緩やかな宗教観故に日本人には神の絶対性を理解できない。

筆者の友人が「真面目な話をしているのに、信心をするべきだと言われた。ふざけている」と憤っていたことがある。これはどちらに非があるというものではなく、完全に噛み合っていなかったと推測できる。友人にとって宗教は習俗か趣味程度の認識しかなかった。しかしその相手は大真面目だったはずだ。信仰者にとって宗教は趣味や慣習ではなく人生そのものであり、生活より前にくるもので、後にくるものではない。友人は典型的な日本人であることがわかる。日本人は宗教を甘くみている。だから郷に従えなどという発想が生まれる。神の絶対性の下で生きるムスリムとは住む世界が違いすぎるのだ。「お互いに納得するまで話し合うことが必要」とは正論だが非現実的である。

■現実を知ること

ムスリム土葬問題は、日本人側が譲歩するか、完全に決裂するしかない。例えば無人島をムスリムに与える…などということができれば実務的な解決は可能だろう。しかし、神の完全性を最も厳格に守るイスラム教と、緩やかな宗教観の日本人との対話は根本的に成立しない。その認識が日本人・ムスリム双方に不足していることが問題である。グローバリズムを謳うなら、話し合いが大切などという凡庸な綺麗事ではなく、現実に即した宗教教育が必要である。和解の道を見いだせるとしたら、そうした教育を受け認識を深めた次世代に期待するしかないと思われる。なお、こうした問題とは別にイスラムの死生観そのものは魅力的であり、独立したテーマとして焦点を当ててみたい。

■参考資料

■飯山陽「イスラム教の論理」新潮新書(2018)
■小杉泰「イスラームとは何か」講談社現代新書(1994)

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