高野山に織田信長や明智光秀など戦国武将のお墓が数多く存在する理由 (2/2ページ)
乱世の中、戦国大名たちは寺院と対立していた一方、大師信仰のもと高野山に墓石を立てるなど信心の深さが垣間見られることは興味深い。
■全国大名の約40%のお墓が高野山に集中している
実際に墓石や供養塔が作られ始めたのは戦国時代であることが現存している墓石の調査によってわかっている。そして徳川家康が世を治める時代になると高野山を徳川家の菩提所と定めた。すると各地の大名がこぞって高野山に墓を建て始めたのである。その結果、現在110家の大名家の墓が存在し、この数は全国大名の約40%の割合を占めている。
■高野山は次第に一般庶民にも浸透していった
こうした流れを受けて高野山は一般庶民にとっても憧れの地となった。高野山は時代の流れと共に門戸を広げていった。現在歴史上の人物と共に、著名人や一般人のお墓が同じ地に立っている。中には企業が建てた企業墓と呼ばれるものもある。仏教史とはまた異なった高野山の歴史を垣間見ることができる。訪れた際は是非お墓にも注目していただきたい。