高野山に織田信長や明智光秀など戦国武将のお墓が数多く存在する理由 (1/2ページ)

心に残る家族葬

高野山に織田信長や明智光秀など戦国武将のお墓が数多く存在する理由

和歌山県に位置する高野山金剛峰寺は平安時代前期、弘法大師空海が開いたとされる真言密教の修行の地である。金剛峯寺をさらに行ったところに奥の院と呼ばれる場所がある。高野山では空海は亡くなったのではなく、長い瞑想へと入り、現在も修行に励んでいると考えている。そして空海のいる高野山こそ浄土であると捉えるようになったのである。これを大師信仰という。弘法大師廟というお堂が空海の瞑想の修行の場であり、聖なる場所として今もなお篤い信仰を集めている。

■明智光秀、織田信長、武田信玄、上杉謙信などが眠る高野山

その弘法大師廟にたどり着くまで約2キロの参道が続いている。その参道には多数のお墓が道沿いに並んでいる。それらの墓石を見てみると戦国武将の供養塔が多数存在することに気付く。今話題の明智光秀、織田信長、武田信玄、上杉謙信など名だたる武将がそろい踏みしているのだ。 

なぜ高野山にこんなに多くの戦国大名のお墓が存在しているのだろう。これは高野山と戦国大名の複雑な関係から生まれたのである。大師信仰が広がることで自らも亡くなった後、空海の近い場所にいたいという思いから高野山に納骨を希望する信者が現われた。鎌倉時代には既に納骨の習慣があったといわれている。

■戦国時代、大名と寺院は荘園を理由に対立していた

戦国時代になると戦国大名と寺院が対立する。原因は荘園の存在である。多くの寺院は荘園を持っていた。寺院は荘園にかかる税を免除されるメリットがあったため、荘園内で得た作物の利益も全て寺院のものとなったのである。これは寺院にとって大切な収入源であり、経済的安定の基盤となっていた。しかし戦国時代になると戦国大名による荘園の侵略が横行した。有名な信長による比叡山焼き討ちも荘園がきっかけで起こった出来事である。

■自衛を図った高野山

高野山も広大な荘園を持っており、大名による侵略を危惧していた。当時高野山もまた織田信長ににらまれており、比叡山の二の舞になりかねなかった。こうした情勢から身を守るために有力な大名と手を結び、宿坊の契約、師檀制度(檀家制度のようなもの)を提案したのである。

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