戦国時代「甲斐の虎」は信玄だけじゃなかった?武田家に「虎」「昌」「信」の入った武将が多い理由 (3/4ページ)

Japaaan

もちろん二十四将だけが武田家ではないものの、主要な家臣の内これだけの割合で使っていると、単なる偶然ではない筈です。

これは一体、どういう事情があったのでしょうか。

主君の名前から一文字を賜る名誉

これは偏諱授与(へんきじゅよ)と言って、特に功績のあった家臣や目をかけている者の元服に際して、主君が自分の名前から一文字を与える(名前に組み込むことを許す)慣習によるものでした。

(※例:足利義「晴」⇒武田「晴」信、今川義「元」⇒松平「元」信など)

信玄公に「晴」の字を与えた室町将軍・足利義晴。Wikipediaより。

与える文字は代々受け継がれてきた通字(つうじ。武田家なら信の字)でない方の文字(これが偏諱です)であることが多いものの、信玄(晴信)公の場合、自分の名前が一族の通字と足利将軍から賜った文字で構成されていたため、どちらもむやみには与えられません。

そこで自分の父であり、甲斐国を統一した武田信虎(のぶとら)の「虎」と、その礎となった曾祖父の武田信昌(のぶまさ)の「昌」を与えることで、家臣たちの奮励努力を促したのです。

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