戦国時代、67歳の武将・細川幽斎が遺した芸術作品とも言うべき「田辺城の戦い」【中編】 (1/4ページ)

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戦国時代、67歳の武将・細川幽斎が遺した芸術作品とも言うべき「田辺城の戦い」【中編】

1600年7月22日の丹後・田辺城は、まさに風前の灯火でした。

城を預かるのは67歳の細川幽斎。

本能寺の変と細川藤孝の決断。明智光秀と共に滅びる立場にありながら豊臣秀吉から功を賞された男【前編】

半世紀かけて積み上げてきたすべての資産をフル活用し、彼は芸術作品とも言うべき戦いの棋譜を残すことになるのです。

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戦国時代、67歳の武将・細川幽斎が遺した芸術作品とも言うべき「田辺城の戦い」【前編】

京からの使者

開戦から5日経った7月27日。

落城が近い田辺城に、八条宮智仁(としひと)親王の使者が訪れました。朝廷からの使者ということで包囲を抜け、幽斎に面会した使者は彼に降伏を勧めます。

幽斎は多芸な人物でしたが、特に和歌においては「古今伝授」という秘伝を当時ただ一人受け継いでいた人物でした。幽斎が命を落とすようなことがあれば、その秘伝も失われてしまう。

幽斎から和歌の指導を受けていた八条宮は、それを危惧して動いたのです。

「お気持ちは嬉しいのですが、私も武士です。ここで降伏することなどできません。

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