国産のマカロニはこうして生まれた。大正時代まで遡る国産マカロニ誕生秘話 (2/3ページ)
釜にいれればどろどろになるで、その乾燥法を確立するまでさらに5年の歳月を費やしたそうです。
マカロニ生産は子に代替わり苦心の末ようやく完成した製造法ですが、その5年後に欧州大戦(第一次世界大戦)が勃発。アメリカから大量の注文が殺到したのも束の間、大戦が終わって不景気がやってくると、工場の経営が困難になってしまったといいます。
この大変な時期に吉次が病気で亡くなり、子の吉郎さんに代替わりします。世代が変わっても、なかなか困難な時代は終わらず、7年もたつうちに工場が人手に渡り、残ったのは多額の借金だけでした。妻子を実家に残して裸一貫で再スタートした吉郎でしたが、新工場を水害でだめにしてしまうなど、不幸が続きます。
石附家に伝わる吉次の胸像 (石附初枝氏蔵 加茂市市史編纂室提供)
1932(昭和7)年の夏、ようやくインフレ景気を迎え、アメリカからの大量注文が夜となく昼となく舞い込むようになり、事業が再び軌道に乗るようになります。ところが、マカロニの生産は太平洋戦争が始まると一時製造を中止してしまいます。終戦後再び復活し、吉次の孫である誠之助の代には、先代吉郎の製法に改良を加え、1952(昭和27)年には月産10トン、1975(昭和50)年には30トンを生産するまでに成長します。
マカロニの国内生産発祥・加茂市1959〜1960年くらいだと、マカロニ360g入り1袋で120円くらいで買えたそうですが、その当時、地方ではマカロニに具を混ぜるといった食べ方があまり浸透しておらず、お土産か何かで貰ったという人から「どうやって食べたらいいのか」という問い合わせがよく来たそうです。