ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【中編】 (1/2ページ)
1582年に起こった「本能寺の変」。織田信長亡き後、織田家家中は跡目争いによって混乱した。今回は【前編】に引き続き、織田家重臣たちが辿った運命をご紹介する。
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ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【前編】 丹羽長秀(にわながひで)柴田勝家と共に織田家重臣の双璧と呼ばれた人物である。軍事面だけではなく政治面にも明るく、信長に重宝された。
清洲会議では秀吉が担いだ三法師を支持。1583年の賤ヶ岳の戦いでは秀吉側につき、佐久間盛政の軍勢を撃破するなどの武功を上げる。
戦後は越前及び若狭・加賀二郡など123万石を所領として日本有数の大名となったが、1585年に病没。享年51。腸内にできた腫瘍の苦痛に勝てず、自刃したとされている。
池田恒興(いけだつねおき)
幼少の頃から織田家に小姓として仕えた。本能寺の変では秀吉と共に明智光秀を討っており、この功績によって織田家の宿老に列したとされる。清洲会議では秀吉が擁立した三法師を支持。
