永遠のレジェンド・長嶋茂雄、努力と愛らしさを大解剖!「感動&爆笑伝説」
巨人ファンのみならず、日本中で愛されるスーパースター・長嶋茂雄。選手として、監督として、日本のプロ野球界に燦然と輝く功績を残してきた人物だ。しかし残念ながら、一昨年に胆石を患って以降、ファンの前に姿を現す機会はほとんどない。
「コロナ禍で外に出にくいこともあり、いまだ“自宅療養中”。ただ、寝たきりのような状態ではなく、元気にはしているようですね」(旧知の元記者)
表だった活動がなくても、ファンの心の中にミスターは生きている。今回は、我々を夢中にしたミスターの逸話の数々を、ゆかりのある人たちの証言から紐解いていこう。ケタ違いの伝説が、そこにある!
記録にも記憶にも残る。それが野球選手・長嶋茂雄の偉大なところだろう。
「打率3割5厘、444本塁打、1522打点という通算成績もさることながら、シーズンMVP5回、日本シリーズMVP4回という大舞台での類まれな強さも大きな魅力でした」(スポーツジャーナリスト)
選手としての長嶋氏は、よく“天才”と評されるが、そんな華々しい成績の数々は、才能だけで成し遂げたものではなかった。
「ミスターこそ、実は努力の人。あのノムさんも“天才が努力をするから手がつけられなくなる”と、一目置くほどでした」(スポーツ紙ベテラン記者)
巨人でチームメイトだった野球評論家の黒江透修氏は、こう語る。
「長嶋さんは、練習でもなんでも、とにかく自分が納得するまでやる人。毎日の日課だった素振りも、自分の中でしっくりこないと、ひたすらやっていましたね。川上(哲治)監督が食事を終え、風呂から出てきても続けているから、“ええ加減にせぇ!”と怒られていたくらい」
練習の虫だった長嶋氏は、独特の練習法を持っていた。
「試合後に帰宅すると、自宅の地下室の電気を消して、真っ暗な中で素振りを繰り返した。暗くする理由は、スイングの音をより感じるため。ミスターは、音でバッティングをチェックしていたんですね。一度、“どんな音だと良いスイングなのか?”と聞いたことがあるんですが、答えがあまりに感覚的で分からなかったですね(笑)」(前出のベテラン記者)
地下室を出てみたら朝だった……ということも、しばしばあったという。
■とぼけた一面とプロ意識
黒江氏は、同室だったチームメイトしか知らない事実も明かしてくれた。
「長嶋さんは調子が悪いと寝つきも悪いようで、そういう日は寝返りも激しい。こっちが寝ているところまで転がってくるから、俺のほうが移動したりもするんだけど、それでも絶対に、こっち側に転がって来る(笑)。ひどいときは膝をつねってやったりしたけど、本人は全然覚えていないから、朝起きて“黒ちゃん、膝が痛いんだけど、なんかした?”だって(笑)」
そんな長嶋氏だが、人一倍、プロ意識が高いことでも知られていた。
「1962年のオフから始めた箱根での山籠もりは、自腹でトレーナーも同伴させていた。今では当たり前の光景ですが、当時、お金をかけて調整することはかなり画期的なことでした」(当時を知る元記者)
プライベートで親交のあるタレントのせんだみつお氏も、長嶋氏のプロ根性に脱帽する。
「ご本人から直接聞いた話ですが、長嶋さんは“このピッチャーだと、今日は打てそうにないな”と思ったら、ふだんより大きめのヘルメットを着けるようにしていたそうです。その理由は、思い切り三振すると、ヘルメットが宙に浮いて、そこを写真に撮られるから。“これが、かっこいいんですよ”って言ってましたが、あの方は、お客さんをどうやって喜ばせるか、常に考えていたんですよ」
どんなときでも観客を楽しませる。そこには、長嶋氏なりのファンサービス精神があったのだ。
■日本中が驚いた珍プレー
だが、その一方、プレイに集中するあまり、まさかの珍事件を引き起こすことも多々あった。
「試合に没頭しすぎて、その日、試合を見に連れてきていた息子の一茂を球場に置いて帰宅してしまった一件は、もはや伝説ですね。なんでも、家に帰って奥様に言われるまで気がつかなかったとか(笑)」(前出の元記者)
ルーキーイヤーには、こんな珍プレーも。
「58年9月の対広島戦で、ホームランを打ったんですが、一塁ベースをまさかの“踏み忘れ”。記録は取り消しとなってしまいました。実は、この1本があれば、この年、ミスターは“トリプルスリー”が達成できていたんですね。しかもベースの踏み忘れは、このときが日本球界初。1個のミスが世紀の記録になってしまうあたりが、実にミスターらしいですよね」(前同)
12月14日発売の『週刊大衆』12月28日・1月4日号では、ミスターの魅力的な人間性を大解剖している。