明智光秀と共に戦死。本能寺の変を成した5人の重臣「明智五宿老」【中編】 (2/2ページ)
本能寺の変で明智光秀軍に討たれた「織田信長」(Wikipediaより)
五宿老の由縁五宿老は、光秀の家臣として明智家における重要な地位にあった人物たちであるが、上述の5名を特別に五宿老と呼ぶ理由には、本能寺の変が深く関わっている。
光秀による決意表明光秀は、信長誅殺の決意を情報漏洩の危険性を鑑みて事前に漏らすことはなかったが、上述の5名にのみ打ち明けていたとされる。これは、光秀からの信頼度を示す逸話であり、上述の5名を五宿老と定義する根拠となっている。
全員の敗死五宿老は全員が光秀の後を追う形で戦死している。結果的に光秀と運命を共にする形となった事が、忠臣としての印象を象徴的なものとした。
【後編】では、本能寺の変や、後に起こった山﨑の戦いにおける五宿老の立ち回りやその後をご紹介する。
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