『濱マイク』映画監督・林海象インタビュー「モットーはいつでも撮る、どこでも撮る、どんな条件でも撮る」

日刊大衆

林海象(撮影・弦巻勝)
林海象(撮影・弦巻勝)

 29歳の頃、勝新太郎さんが出演した『帝都物語』(1988年)という作品で脚本を担当しました。そしてその2年後、高嶋政宏さん主演の『ZIPANG』(90年)という大作で、監督を務めさせていただきました。でも、そのほんの数年前まで、僕は1日500円の生活費で暮らしていたんです。

 19歳のとき、映画監督を目指して京都から上京したものの、金もないし、コネもいない。「自分は映画監督になれる」という、根拠のない自信だけがありました。

 ですが、どうしたら映画監督になれるのかが分からない。だから、バイトを転々としながら、ずっと“その日暮らし”をしていました。

 そんな毎日から抜け出せずに、気がつけば26歳に。ようやくその頃、「どうしたら映画監督になれるか?」という疑問に対する答えが出たんです。「自分で映画を作ればいいんだ」と。学生時代に撮った8ミリ映画の経験しかありませんでしたが、オリジナルの脚本を書いて、16ミリの自主映画を作りました。それが、『夢みるように眠りたい』(86年)という作品です。

 当時、ピンク映画のスタッフにお願いすれば、500万円で映画が作れると誰かに聞いたんですね。でも、もちろんそんなお金はない。だから、久々に実家に帰って、「失敗したら映画監督になるのを諦めて、ちゃんと働いて返すから」と親父に頭を下げて、銀行から借りてもらいました。無事に映画は完成したものの、次の問題は上映館。自主製作ですから、どこで上映するか決まっていないわけです。そこで、自分でいろいろなところにあたってみましたが、この映画は白黒の無声映画でしたから、反応が良くない(笑)。そんな中、たまたまセゾングループの堤康二さんが観てくれて、気に入ってもらえたんですね。それで「俺が責任を持つから」と、「シネセゾン渋谷」という映画館で上映してくれた。本当に堤さんは僕の大恩人です。

 おかげさまで、作品は評判を呼んで、お客さんもいっぱい入ってくれました。『夢みるように〜』がなかったら、今の僕はないでしょう。『夢みるように〜』も、『私立探偵濱マイク』シリーズも、僕の作品にはよく探偵が登場します。子どもの頃からの憧れの存在だったこともありますが、面白いのは、探偵って何かを探しますよね。「探す」ってことは、それ自体が「物語」になるんです。しかも探偵や殺し屋なんて、現実世界にはあまりいないじゃないですか。そういう虚構の世界にしか存在しない人物を描くのが好きなんですよね。

■映画って撮り続けなきゃダメなんですよ

 僕は、自分を“ファンタジーアクション”の監督だと思っています。そうした意味で、新作の『BOLT』は、「原発」をテーマにしているので、自分にとっては新しい挑戦かもしれません。ただし、社会問題を扱いながらも、自分が撮るからには、社会派というよりは“脱原発エンターテインメント”にしたかった。

 だから、近未来SFのような雰囲気で描きたかったし、ファンタジーの要素も持たせました。原発内のシーンでは、潜水艦を舞台とした映画『Uボート』のような息苦しさも出せたので、ちゃんと娯楽作にできたかなと思います。

 劇場公開映画としては7年ぶりの新作になりますが、2年ぐらいかけて作っていたので、あまりブランクが空いたという感覚はないですね。映画って撮り続けなきゃダメなんですよ。そうしないと“映画細胞”みたいなものが落ちて、ますます動けなくなってしまう。

「いつでも撮る、どこでも撮る、どんな条件でも撮る」というのが僕のモットーです。でも、いざ撮るとなったら、ものすごいエネルギーをため込む必要がある。それでも、これだけ長く続けて来られたのは……やっぱり映画が面白いから。それしかないですね。

林海象(はやし・かいぞう)
1957年生まれ。1977年に立命館大学を中退し、上京。その後、20数種のアルバイトを経験する。1986年に『夢みるように眠りたい』で映画監督デビュー。主な監督作として『二十世紀少年読本』(1989年)『ZIPANG』(1990年)『私立探偵 濱マイク』シリーズ(1994年~)、『CAT’S EYE』(1997年)などがある。テレビドラマ、舞台の演出も手がける他、東北芸術工科大学映像学科の教授として教鞭もとっている。

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