明智光秀と共に戦死。本能寺の変を成した5人の重臣「明智五宿老」【後編】 (2/3ページ)
五宿老の内、斎藤利三、藤田行政、溝尾茂朝は光秀と共に秀吉軍を迎え撃った。明智秀満は信長亡き安土城の守備につき、明智光忠は本能寺の変で負った傷を知恩寺で癒していたという。
戦は序盤こそ明智軍が奮戦するものの、援軍の到着によって息を吹き返した羽柴軍が奮戦。結果的に明智軍は総崩れとなり、光秀は居城の坂本城を目指して落ち延びることとなる。
それぞれの最後
光秀自身は、山﨑から勝龍寺城を経由して敗走する途中に自害したといわれている。一説には光秀の介錯を努めたのは溝尾茂朝であったという。明智秀満、明智光忠、溝尾茂朝の3名は坂本城にて合流した後に自害。
山﨑の戦いで負傷していた藤田行政は、敗走途中に光秀がいる勝龍寺城陥落の報を聞き自害した。