あなたを傷つけた誰かを許すために謝罪を待つ必要はない。自分のために囚われた心を開放させることが先決
謝罪を待つことで余計に辛くなるなら心の解放を/iStock
人を許すことは難しいものだが、特に肉体的、感情的、あるいはその両方で、立ち直ることができないほど傷つけられた場合は特にそうだ。その苦しみ、辛さが長くつきまとうからだ。
怒りや恨みは傷つけられたことに対する当然の反応だが、その苦しみが長引けば長引くほど、傷が深ければ深いほど、なかなか忘れることができない。
相手を許せるようになるには、自分の受けた痛みがどれほど衝撃的で辛いものなのかをわからせ、深く反省してもらい、その証拠として謝罪を求めるのが一連のプロセスだろう。
だが相手が謝罪にいたるまでには長い時間がかかる場合が多く、その間ずっと怒りや恨みにとらわれたままの状態となる。自分の心身の健康を大切にするなら、このようなプロセスは考え直したほうがいいかもしれない。
許しのために、加害者からの謝罪、あるいは、しでかしたことの重大さを痛感する認知を待つ必要はないのだ。相手は許さなくていい、だが自分を許す。ここでいう許しとは自分のために囚われた心を開放する、自分への許しを意味する。
・許しとは何か?
この意味を納得するには、許しとはなにかをきちんと理解する必要がある。それには、なにが許しではないのかを明らかにするのが助けとなる。
相手を許すのは、彼らと仲直りすることではない。許しは和解とは違う。許しに正義や謝罪は必要はない。
許しは、外から影響される行為ではなく、むしろ怒りや恨みを解き放つ内省的な状態なのだ。「あんたに傷つけられたせいで、私はずっと不幸なままだ。あんたを決して許すつもりはない」とよく言うが、それは、あなたを傷つけた相手ではなく、あなた自身のために行っていることだ。
考えてみて欲しい。傷つけられて、怒りと恨みがもっとも深いのは誰か? 傷つけられて人生をめちゃくちゃにされたのは誰か? 来る日も来る日も、その苦しみと向き合わなくてはならないのは誰か? それは、あなたを傷つけた人間ではなく、ほかならぬあなたなのだ。
ここでいう許しは相手を許すことではない。自分を許すことだ。

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・怒りや恨みの感情を持ち続けることによる心身的影響
怒りや恨みの感情を持ち続けることによる身体への影響は実際にある。「傷つけられたり、大きな失望を感じたりすると、肉体的な負担が相当大きいのです」というのは、ジョン・ホプキンス病院の医学博士カレン・スウォーツ氏だ。
慢性的な怒りは、心拍、血圧、免疫システムに強い影響を与え、慢性疾患の危険性が増す。だが、許しにはその逆の影響がある。
だからといって、相手を許せと言っているのではない。許しは、怒り、挫折、失望、恨みを解き放つ内省的行為だ。
「被害者がネガティブな感情を意識的に捨てようと決心するのは、加害者がそれに値するかどうかにかかわらず、積極的なプロセスと言えます」とスウォーツ氏は言う。

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・自分の傷は自分でしか治せない
だから、加害者を許すのに相手からの謝罪は必要ない。許すことで、加害者側が人を傷つけてもいいとか、責任を逃れられると思わせてしまうことになるという考えは捨てなくてはならない。
そうではなく、加害者があなたにしたことが、あなたをずっと不幸な状態にするわけではないのだと、あなた自身に言い聞かせることだ。
自分の怒りのせいで、ずっとあなた自身がずっと傷ついたままの状態でいるのを止めるための選択なのだ。
許すという行為は、時としてあなたを傷つけた人に対する共感や思いやりにつながることもあるが、それは必要ない。
ルワンダの虐殺のような、残虐非道な犯罪の加害者を許す人たちの信じられないような話はあるが、それは、この悲劇を忘るためや、正当化されたからではなく、恨みや怒りにとらわれてばかりいるのは、被害者自身を苦しめるだけだからだ。
もし、あなたが傷つけられた相手からの謝罪を待っているのであれば、その前にまずは、自分の中に沸き立つネガティブな感情をきちんと受け入れ、その怒りや恨みを手放す努力をして欲しい。
これは簡単なことではない。とても難しいことはわかっている。だが、相手の謝罪を待っている間は、相手に囚われの身となっている状態だ。
怒りや恨みに固執している状態が長引けば長引くほど心身に悪影響を与えるのは明らかである。それらをうまく捨てることができれば、心が自由になれるのだ。相手を許すというよりも、自分の心を開放する。これこそが「許し」なのだ。
References:You don't have to wait for an apology to forgive someone who hurt you - Upworthy/ written by konohazuku / edited by parumo