あなたを傷つけた誰かを許すために謝罪を待つ必要はない。自分のために囚われた心を開放させることが先決 (1/3ページ)
謝罪を待つことで余計に辛くなるなら心の解放を/iStock
人を許すことは難しいものだが、特に肉体的、感情的、あるいはその両方で、立ち直ることができないほど傷つけられた場合は特にそうだ。その苦しみ、辛さが長くつきまとうからだ。
怒りや恨みは傷つけられたことに対する当然の反応だが、その苦しみが長引けば長引くほど、傷が深ければ深いほど、なかなか忘れることができない。
相手を許せるようになるには、自分の受けた痛みがどれほど衝撃的で辛いものなのかをわからせ、深く反省してもらい、その証拠として謝罪を求めるのが一連のプロセスだろう。
だが相手が謝罪にいたるまでには長い時間がかかる場合が多く、その間ずっと怒りや恨みにとらわれたままの状態となる。自分の心身の健康を大切にするなら、このようなプロセスは考え直したほうがいいかもしれない。
許しのために、加害者からの謝罪、あるいは、しでかしたことの重大さを痛感する認知を待つ必要はないのだ。相手は許さなくていい、だが自分を許す。ここでいう許しとは自分のために囚われた心を開放する、自分への許しを意味する。
・許しとは何か?
この意味を納得するには、許しとはなにかをきちんと理解する必要がある。それには、なにが許しではないのかを明らかにするのが助けとなる。
相手を許すのは、彼らと仲直りすることではない。許しは和解とは違う。許しに正義や謝罪は必要はない。
許しは、外から影響される行為ではなく、むしろ怒りや恨みを解き放つ内省的な状態なのだ。「あんたに傷つけられたせいで、私はずっと不幸なままだ。あんたを決して許すつもりはない」とよく言うが、それは、あなたを傷つけた相手ではなく、あなた自身のために行っていることだ。
考えてみて欲しい。傷つけられて、怒りと恨みがもっとも深いのは誰か? 傷つけられて人生をめちゃくちゃにされたのは誰か? 来る日も来る日も、その苦しみと向き合わなくてはならないのは誰か? それは、あなたを傷つけた人間ではなく、ほかならぬあなたなのだ。
ここでいう許しは相手を許すことではない。自分を許すことだ。