卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【前編】 (2/4ページ)

Japaaan

四道将軍[※注1]の一人、大彦命(おおびこのみこと)が不思議な歌を歌う少女に出合い、崇神天皇に報告した。

不思議に思った天皇が倭迹迹日百襲姫に占わせたところ、武埴安彦(たけなひやすひこ)が謀反を起こそうとしているというお告げがあった。そこで、天皇は、武埴安彦を討伐した。

この話は、倭迹迹日百襲姫の占いにより、反乱を抑え、崇神王朝が事なきを得たことを表しています。

こうした記述から、倭迹迹日百襲姫は、『魏志倭人伝』にいう「鬼道」を用いて、国の大事を占い、神託を告げる巫女(シャーマン)であったと想像できるのです。

※注1:崇神天皇が諸国平定のために、北陸・東海・西海・丹波へ派遣した4人の将軍。

その墳墓から卑弥呼の有力候補とされる

倭迹迹日百襲姫の墓・箸墓古墳。卑弥呼の墓とも考えられている。(写真:wikipedia)

倭迹迹日百襲姫が、卑弥呼のモデルと考えられる大きな理由の一つは、その墳墓にあります。『日本書紀』には、倭迹迹日百襲姫の墓は、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡内にある箸墓(はしはか)古墳とされ、宮内庁により陵墓として管理されているのです。

纏向遺跡は、邪馬台国畿内説の最有力候補地。その中にある古墳群で盟主的な箸墓古墳は、日本最古級の前方後円墳と目されています。

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