卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【前編】 (3/4ページ)
全長約280mの堂々たる姿で、後円部の直径約は約150m。『魏志倭人伝』にいう卑弥呼の墓の大きさ「径百余歩」(約180m)に近いことから、古くから卑弥呼の墓という説が唱えられてきました。
箸墓古墳の築造年代は一般には3世紀後半とされています。卑弥呼の没年は3世紀中頃の247~248年頃と推定されるので、卑弥呼の墓としては、約50年ほど合わないことになります。
ところが、近年に箸墓古墳周辺から出土した土器を最新の年代測定法で科学調査したところ、240~260年という測定結果が出て、卑弥呼の没年とほぼ一致しました。これで、箸墓古墳=卑弥呼墓、倭迹迹日百襲姫=卑弥呼説が俄然湧きたったのです。
ただ、この年代測定法の分析精度に疑問を持つ学者も多く、さらに測定した土器があくまで箸墓古墳周辺から出土したものであるということから、考古学的には確定に至っていません。
しかし、こうした見地から、箸墓古墳が卑弥呼の墓であり、倭迹迹日百襲姫が卑弥呼のモデルである可能性は高まりました。でも、考古学的にはこれが限界ともいえます。