織田信長はライザップ体型?戦国武将に学ぶ「100歳長寿」の健康術&食事

日刊大衆

写真はイメージです
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 血塗られた戦場を生きた猛者の寿命は当時の平均より20歳以上も長かった! その理由であるメシと暮らしに肉薄!

 コロナ禍でテレビの前に座る機会が増えそうな現在、正月太りや運動不足も気になるところ。コロナとのサバイバル戦争を勝ち抜くためにも、歴戦の勇士である戦国武将たちの「健康術」を紹介しよう。

 まず注目したのが織田信長。NHK大河ドラマ麒麟がくる』のメインキャストの一人でもある。『戦国武将の健康術』などの著者で知られる医学ジャーナリストで、愛知医科大学の客員教授も務める医学博士の植田美津恵氏が言う。

「信長は本能寺で討たれなければ、かなり長生きしたかもしれません。愛用していた甲冑などから身長と体重が分かっていて、生活習慣病の大敵である肥満度を測るBMI指数は22。これは最も病気になりにくい、理想的な体型です。『ライザップ』のCMに出演できるくらい、凛々しい体形の持ち主だったのではないでしょうか」

 そんな信長の健康の秘密は水泳。全身運動の水泳は、数あるスポーツの中でもカロリー消費が高い。

「信長の一代記である『信長公記』に“三月より九月までは川に入り、水練(水泳)の御達者なり”とあります」(博物館学芸員)

 戦国時代の冬なら無理だが、現代では温水プールがある。さっそく、明日から真似できる健康術だろう。

■爆竹を鳴らし、馬に乗って

 一方で、戦国武将を語るうえで欠かせないのが乗馬。足腰を鍛えるには、うってつけのスポーツだ。

「『信長公記』によると、“御爆竹”というイベントで、楽しみながら体を鍛えていました。側近の者らを南北の陣に分け、爆竹を鳴らし、はやし立てながら馬に乗って戦う、ある種の訓練で、信長自ら参加していたといいます」(歴史小説家)

 戦国時代の庶民の平均寿命が30〜40歳とされる一方、戦国武将は、それよりはるかに長い52.9歳というデータもある。歴史学者の渡邊大門氏も、「戦国武将は戦いに備えて、剣術、弓矢、馬術、鷹狩りなどの武芸の鍛錬を欠かしませんでした」と解説する。こうした日頃の鍛錬が、寿命に大きく関わったのだろう。

 乗馬は真似できなくとも、「歩いて足腰を動かすことで、健康的な体を維持することができます」(前出の植田氏)というから、2021年の目標を立てるときの参考にしたい。

 歩くというと、こんな“信長流”健康術も。

「当時のスペインの商人、アビラ・ヒロンの『日本王国記』には、信長がわら草履で散歩していたとあります。高温多湿の日本で、わら草履ほど通気性がよくてウォーキングに適した履物はありません。さらに、足の裏は、いろんなツボの集中しているところです。自分の足に合わない靴をはいていると、それだけで健康を損なう恐れがあり、わら草履をはかないまでも、まずは、自分の足に合った靴をはくのが大切でしょう」(前同)

■石風呂でサウナ、アロマテラピーも

 では、ここで大河ドラマの主人公、明智光秀の健康術も紹介しよう。

「吉田兼見という当時の人物が書いた『兼見卿記』によると、自軍が窮地に陥った際も、知人宅の石風呂に通っていたとか」(前出の学芸員)

 その石風呂について、植田氏は、こう解説する。

「石風呂は現代でいう、サウナ。神経痛やリウマチ、ぜんそくなどにも効果があり、傷ついた武将の体を慰めました」

 同じような効果は温泉にも。現在も“信玄の隠し湯”が残っているが、武田信玄は温泉で心身を癒やした。その信玄がもう一つ、心身を癒やすために実践していた健康術があるという。

「信玄が当時のトイレである閑所で用を足しながら、1時間もの間、物思いにふけっていたという話があります」(前同)

 その際、消臭に使っていたのが沈香という香木。信玄の閑所には、風呂まであったというから、いわばユニットバスのようなものだ。

「沈香は強壮、鎮静、解毒、健胃効果があります。信玄は、アロマテラピー効果で心身のバランスを保っていたんでしょうね」(同)

 74歳という、当時でいえば、かなりの長寿だった毛利元就は、息子の幼少期によく雪合戦をさせた。元就自身も、高齢になってからも屋敷に雪を持ってこさせてまで、楽しんだという。

「雪を丸める動作は、手指などへのほどよい刺激となり、頭を活性化させます。また、肩を大きく回して投げる行為が、ふだん、なかなか使わない筋肉を鍛えてくれるんです」(植田氏)

 戦国の黎明期、相模国を統一した北条早雲の長寿の秘訣は、早寝早起き。

「北条家の家訓『早雲寺殿二十一箇条』で“午前4時起床・午後8時就寝”を家臣にも推奨していました。同じく健康的な生活を送ったのは、伊達政宗。“脈診”という伝統的な診断法に基づき、毎日決まった時間に自分で脈拍を測っていたとか」(前出の歴史小説家)

■タバコは“薬”として売られていた

 その政宗だが、タバコを朝起きたときと昼、寝る前の3回、毎日吸っていた。

「当時、タバコは“薬”として売られていました。吸いすぎて健康被害が出たため、のちに徳川家康が禁止令を出しましたが、当時、タバコは粋なたしなみとして考えられていたんでしょう」(植田氏)

 では、同じく嗜好品の酒はどうだろう。

「福島正則のように、ひと抱えもある盃の酒を一気に飲み干していた酒豪ぞろいの戦国武将の中で、毛利元就は酒断ちした珍しい武将です。一方で、元就は“酒は百薬の長”といわれる効用も認めていたらしく、親族に“酒は小椀1〜2杯にとどめよ”と手紙を送っています」(前出の学芸員)

 酒はほどほどは、今も昔も変わらない!?

 酒は酒でも、薬用酒の効用を分かっていたのは、健康オタクとして知られる徳川家康。薬専用のタンスまで持ち、自ら漢方薬を調合していた家康には、現在の『養命酒』が献上されていたという。ちなみに、屠蘇も、薬用酒の一種だ。

「家康は73歳で亡くなる直前まで、心身の鍛錬のために鷹狩りに出かけたそうです」(前同)

 その際、女性を同伴することも多かったとか。

「家臣がチクリと嫌味を言ったところ、家康は“狩りの成果を上げるためだ”と豪語したと伝わっています」(歴史小説家)

 女性にいいところを見せたいのは、今も昔も同じ。女性同伴なら、楽しく体を鍛えられるのだろう。

 女性だけはでない。武田信玄には、側近たちとの“おっさんずラブ”の噂がある。若い男を近くに侍らせたのは、その精気を吸い取ろうとしたのだろう。男女問わず、若い人との交流を持つのが、長生きの秘訣なのかもしれない。

 武将の健康術にならって、目指せ100歳長寿!

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