立川志の輔×渡辺正行「談志師匠が富山県知事に頭を下げてくれて…」爆笑スペシャル対談

日刊大衆

立川志の輔(左)と渡辺正行
立川志の輔(左)と渡辺正行

 本誌で大好評連載中の『コント赤信号 渡辺正行 スター芸人たちの“笑いと涙”』の特別編。今回も、前回に引き続き、明治大学落語研究会時代の先輩・立川志の輔師匠との対談・後編を掲載! 新春恒例の落語会の話、立川談志師匠との思い出など、話が尽きない2人のやりとりを、どうぞ!!

渡辺 2021年、新たな年を迎えましたね。新春で思い出すのは、40年以上前、三宅裕司さん(69)、志の輔さん、僕の3人で落語を披露した「志い朝の会」です。

立川 ああ、やったねえ〜。毎年1月15日、今はなき上野の本牧亭で4年くらいやったよね。

渡辺 明大落研で受け継がれてる高座名「紫紺亭志い朝」の4代目が三宅さん、5代目が志の輔さん、6代目が僕。たしか三宅さんが言い出したんですよね。「卒業してから落語をやらなくなったから、3人で会を開こうよ」って。

立川 うん。1977年に始めた当時は、三宅さんも俺も役者を目指してアルバイト生活、ナベちゃんはまだ大学3年生。つまり、みんな素人だったんだけど、ホントに楽しかった。

渡辺 3人でお金を出しあって、伝統ある講談専門の寄席を借りて。自分たちでパンフレットも作って、木戸銭は99円。とりあえず知り合いを呼ぶんですけど、いつも満員でしたよね。

立川 本牧亭の管理人のような、いいお年の女性が一番後ろで観ててくれて、会が終わった後に挨拶に行ったら、「あんたたち、面白いわ」って褒めてくれたんだよ。毎日、プロの講談師の芸を観てる方の感想だから、ものすごくうれしかった。「来年も貸してください」って言うと、「いいわよ」って即答してくれたし。

渡辺 僕が一番下っ端で、落語も下手だったから、毎回、事前にめちゃくちゃ練習しましたよ。でも、僕は枕はウケるのに本編に入ると全然ウケないんですよね〜。三宅さんの演劇仲間ということで観に来てくれた小倉久寛さん(66)からも、「渡辺さんは、落語はイマイチだけど枕が飛び抜けて面白いね」と言われて(笑)。

立川 そうなんだ(笑)。

■「もう、やめようか?」とダメ出しも

渡辺 で、「志い朝の会」は、みんな忙しくなってから途絶えてしまったんですけど、十数年後に、もう1回やったんです。

立川 どこか大きな所だったよね?

渡辺 有楽町の朝日ホールですね。すでに立川流の真打に昇進してた志の輔さんはもちろん、三宅さんも相変わらずうまかった。実はこのとき、僕なりに心に誓ったことがあって。それは、「今回は枕をなくして、本編だけでも面白いということを証明してやる!」ということだったんです。

立川 おお、なるほど。

渡辺 だから、いきなり本編から入ったんですけど、会場はシーーーン!!

立川 あははは。

渡辺 それがもう、辛くて辛くて(笑)。ただ、古今亭志ん朝師匠の落語の完全コピーでやってるから、始まってしまったらアドリブでウケを狙うこともできないわけですよ。「俺は、やっぱり枕がないとダメなのか。なんで本編から入ってしまったんだろう……」って、心の中で泣きながら、そのまま落語を続けるしかなかったですね(笑)。

立川 でも、ナベちゃんは落研時代から、ずっと変わらないけど、そういうことをやってみようという勇気ある姿勢は、ホントにすごいと思うよ。

渡辺 そうですかね(笑)。

立川 毎年1回開催される『熱海五郎一座』(座長・三宅裕司)の公演を観てるときも、東京・新橋演舞場の舞台の上に立つナベちゃんは、落研で出会ったときのまんまなんだよね。だって、毎回毎回、ゴムをつけた手拭いを客席に向かって投げて戻すなんて、なかなかできないよ(笑)。「また、今年もやっちゃった」とか言って、お客さんをしっかりと笑わせてるし。

渡辺 あれですね(笑)。でも、3年目くらいのとき、三宅さんから「ナベ、もう、やめようか?」ってダメ出しされたこともあるんですけど(笑)。

立川 ははは。年に一度、あそこで先輩の三宅さんと後輩のナベちゃんを同時に観ることができるのは、俺にとってホントに楽しみでね。他の演劇だと、どういう演出で、どういう芝居をするんだろうといった気持ちがあるから、いい意味で緊張するんだけど、「熱海五郎一座」のときはもう、緩みっぱなし(笑)。だから、ホントの客になれる。あの頃の2人に出会えているという幸せ感に、俺はいつも客席で包まれてるよ。

■高座で寝てても面白い志ん生

――芸に対する3人の共通点。それは、どれだけキャリアを積んでも変わらない「目の前のお客さんを楽しませたい、笑わせたい」という一途な思いである。

立川 確かに、俺も1983年に立川談志の門を叩いた当初は、お客さんを楽しませるというよりも、落語はどういうものかを語ろうとする意識が強かった。師匠に落語を教わり、師匠のコピーをすることを最優先にしてた。だから、3年目を迎えた頃、師匠のご贔屓さんから「だいぶ師匠に似てきたね。よかったよ」って言われたときは、ホントにうれしかった。

渡辺 そうですよね。

立川 ただ、師匠と同じことをやっててもかなわないから、何か違うことをやっていかなきゃいけない。自分の個性を出していくことが求められるわけだけど、そうした中、いつしか落語を語るというよりも、お客さんのことを考えるようになった。つまり、「せっかく今日来てくれたんだから、楽しんでもらいたい、笑ってもらいたい」という意識に変わっていった。

渡辺 志の輔さんが独演会とかで2時間半しゃべり続けるパワーは、そこから来てるんですね。僕は、「もっとコンパクトにしてもいいんじゃないか?」って思ったりもするんですけど。

立川 お客さんに楽しんで帰ってもらう、そのためなら俺にとっては30分も2時間半も変わらないよ。だけど、熱海五郎一座のときの三宅さんもナベちゃんも同じでしょ。難しいテーマや物語性ではなく、娯楽性を重視してる東京喜劇の“軽演劇”。その極致に行こうとしてるわけだよね。もう2人は、舞台に出てくるだけで、お客さんから「面白い」と思われる人になろうとしてるんだよ。

渡辺 ああ、なるほど。

立川 それは落語でも同じこと。5代目古今亭志ん生師匠は、高座に出てきて、座布団の上で何もしゃべらず寝てても、お客さんは喜んだというし、師匠談志もまた、それに憧れていたんだよね。

渡辺 そうでしたか。

立川 でも今思えば、俺が落語を観て初めて、「ああ、この人はお客さんを楽しませようとしてるんだなあ」と感じたのは、落研時代のナベちゃんなんだよ。

渡辺 ホントですか〜!?

立川 うん。落語のルールどうこうよりも、そんな気持ちが、こちらに強く伝わってきたものだよ。

■談志師匠から一番影響を受けたものは?

――そんな志の輔さんは、談志師匠からさまざまな影響を受けている。その中でも一番と言えるものは何なのだろう?

立川 師匠が色紙に書く言葉で最も多かったのが、「人生成り行き」。俺たち弟子に対しても、「人生なんて成るようにしかならねえよ。まあ、なんかうまくやれ、弟子ども」とか、よく言ってたし。でもね、横でカバン持ちをしてると、師匠自身はちっとも成り行きじゃなかった。性格的に細かくて細かくて……。しょっちゅうメモを取るんだけど、そのメモの文字も細かくて小さいもんだから、自分で何を書いたのか分からない。「おい、これは何て書いてあるんだ?」って聞かれるんだけど、さすがに師匠が読めないものを、俺が読めるわけないよね(笑)。

渡辺 わははは。

立川 ああしたら、こうなる、こうしたら、ああなる……ずっと考えている。たとえば、今日はあいつと待ち合わせだ。じゃあ、俺が先に行って待ってたほうがいいのか、それとも、あいつのほうが先か……。そんなふうに、毎日、嫌というほど、緻密に物事を考えながら生きてた人だったね。

渡辺 はあ〜。

立川 人生、成り行きどころか、人生をデッサンしてたから、自分の人生に必要だと思えば、国会議員にもなる。落語の稽古だって、見えないところでしっかりと積み重ねて、絶対に手を抜かなかった。それでいて、高座では、「成るようにしかならねえよ」というような顔をしながら披露する。そのギャップがすごかったし、怖ろしかった。そして、それが、いかに大事なことかを教えてくれた。だからこそ、師匠への尊敬がずっと続いたんだよね。

渡辺 やっぱり談志師匠の下にいたから、志の輔さんの今があるんですね。

立川 もちろん。談志が師匠じゃなかったら、俺は、こんなふうな落語家になってなかったよ。なにしろ、28歳で入門した半年後に、師匠が落語協会を脱退するという事件があって、寄席に出られなくなったわけだから。そのとき、師匠が言ってくれたんだよ。「寄席を経験できなくても、俺が一人で、お前を育てれば、それでいいんだろ? だから、ここにいろ」って。

渡辺 そうだったんですか……。

立川 「落語をやる場所なんて、自分で探してこいよ。どうしても客がいなかったら、宗教に入るとか、いろいろあるだろ?」ってね(笑)。

渡辺 あははは。

立川 だから、自分で場所探しや客集めをやらないといけなくなってね。そこからだよ、寄席に出てる他の落語家さんたちとは違う、劇場型の落語家生活を送るようになったのは。

■黙って舞台袖から見ていた談志

渡辺 当時、志の輔さんはいろいろと企画して、落語を披露してましたもんね。下北沢の駅前劇場とか、小さな劇場を借りたりして。

立川 そうそう。下北沢駅前劇場で毎週水曜日の夜10時から1時間、雨の日も風の日も、52週やったなあ。

渡辺 師匠は自由にやらせてくれたんですね?

立川 うん。それはすごかったよね。入門して5年もたたないうちに、歴史があって収容人数も多い銀座の博品館劇場で独演会を開いたときも、まったく怒らなかったもん。

渡辺 へえ〜。

立川 独演会っていったって、お客さんはすぐに集まらないよ。それで、俺は富山県出身だから、チケットに鱒寿司をつけた。チケット代3000円だったんだけど、鱒寿司は1000円相当(笑)。そしたら、田舎の人たちが応援してくれて、ワンカップの地酒と富山の薬も提供してくれて。そのうえ、富山県知事が上京して挨拶までしてくれた。

渡辺 すごいですねえ。

立川 あとで地元の新聞記者が書いた記事で知ったんだけど、実はね、知事が挨拶を終えてロビーに出てきたとき、師匠が頭を下げてくれたんだよ。

渡辺 えっ……?

立川 「うちの弟子のために、わざわざ、ありがとうございます」ってね。

渡辺(涙ぐみながら)カッコいいなあ……。

立川 師匠に独演会のことを伝えたときは、「博品館って銀座のか? ふ〜ん、まあ、うまいことやれや」としか言われなかったんだけど、ちゃんと忘れずに来てくれて。でも、自分がいることが俺に分かると、よけいな緊張をさせると思って、黙って舞台の袖から観ててくれて、しかも知事に挨拶までしてくれたんだよね。

渡辺 感動するなあ……。僕には、そういう良い話が全然ないもんなあ(笑)。

立川 あははは。

渡辺 よし、2021年の抱負が決まりました!

 未来に語り継がれる良い話を残す行動をするようにします。志の輔さん、今後の僕を見ててください(笑)。

立川 いいね〜(笑)。

――今年も、明大落研の先輩 ・後輩2人の活躍に大注目です!

●わたなべ・まさゆき 1956年1月24日、千葉県いすみ市(現)生まれ。明治大学在学中にラサール石井、小宮孝泰と出会い、コントグループ『コント赤信号』を結成。1980年に『花王名人劇場』(フジテレビ系)でデビューし、人気を博す。その後、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)など数多くの人気番組に出演。テレビ番組で活躍するかたわら、86年からは若手お笑い芸人の育成のための場「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。現在、第一線で活躍する人気芸人を、若き日から見ている。

●たてかわ・しのすけ 1954年2月15日、富山県射水市(旧新湊市)生まれ。明治大学卒業後、劇団に所属し、その後、広告代理店に勤務する。83年に立川談志門下入門。90年に立川流真打ち昇進。95年からはNHKの大人気生活情報番組『ためしてガッテン』(現・『ガッテン!』)の司会を務め、現在はバラエティ番組、映画、ラジオなど落語以外でも幅広い活躍を続ける。 「龍角散」のCMにも出演中。2015年紫綬褒章受章。

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