野村克也、王貞治、長嶋茂雄…プロ野球レジェンド「元気になる」超・珍・名言

日刊大衆

野村克也
野村克也

 一球に魂を込める勝負師だからこそ、生まれた発言の数々。悲しいときや、笑いたいときに、ぜひ読んでほしい!

 球界では2月のキャンプインを前に、各選手が自主トレの準備を進めている。「今年はコロナ禍に加え、夏には1年延期された東京五輪が開催される可能性もある。さらにペナントのかじ取りが難しくなるでしょうね」(球界関係者)

 昨年に引き続き、“普通でない状態”で生活しなければならないのは、我々も同じ。そんなときこそ、プロ野球の名選手たちの言葉を魂の糧にすべきだろう。まずは、昨年2月11日に亡くなった野村克也さんの言葉から振り返ろう。

〈心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わるんだ――〉

 この言葉を、大の野球ファンで知られるタレントの松村邦洋氏も日々、噛みしめているという。

「一つのことが変わると、すべてがつながって、変わっていくというのは、野村さんらしいいい言葉」

 そんな野村さんは、自分の人生を〈野村-野球=0〉と評している。

「人生を野球にささげてきた野村さんだからこそ、言える言葉ですね」(スポーツ紙デスク)

 その野村さんが阪神監督時代に目をかけていたのが、昨年のトライアウトを48歳で受験するなど、今なお話題の新庄剛志氏だ。

「新庄さんは、野村さんの訃報を受け、SNSで〈俺がそっちに行ったら叩き起こすんで、それまでゆっくり寝ててください〉とコメント。深い師弟愛がうかがえます」(前出の関係者)

 野村さんと同じくセ・パ両リーグの監督を歴任した王貞治氏は、今もなおソフトバンクの会長として選手を鼓舞し続けている。

「昨年の優勝で4年連続の日本一。球界の盟主となったソフトバンクですが、強豪に成長したのも、王さんの存在が大きい」(スポーツ紙ソフトバンク担当記者)

 昨年の日本シリーズMVPを獲得したソフトバンクの栗原陵矢は、CSではノーヒットで不振にあえいでいた。そんな栗原に王氏はこう助言したという。

〈三振を恐れるな。思い切って振れば道が開ける〉

 あえて技術面でのアドバイスは避け、メンタル面のアドバイスをし、それが日本シリーズでMVPの受賞につながったのだ。“ミスターロッテ”こと愛甲猛氏も、自身の大記録達成の裏には王氏からの助言があったと語る。

「王さんに〈レギュラーは、一人でも応援してくれている人がいる限り、最後までグラウンドにいなきゃダメだ〉と言われたんです。長らくパ・リーグ記録だった連続フルイニング出場(535試合)は、この言葉があったから達成できたと思っています」

 多くの選手に影響を与えるところも、さすが“世界の王”と言えよう。

■巨人軍は永久に不滅です

 日本球界のレジェンドと言えば、ミスターこと長嶋茂雄氏を忘れてはならない。

「不世出のスーパースターである長嶋さんですが、選手生活の終盤の1973年12月には、川上監督から“どう頑張っても3割は無理だ”と引退勧告を受けています。それに対し、長嶋さんは〈お願いです、もう1年やらせてください〉と頭を下げたというんです」(球界OB)

 悲壮な覚悟で挑んだ翌シーズンだったが、打率は2割4分4厘。生涯打率こそ3割台をキープしたが、バットを置く覚悟を決め、〈巨人軍は永久に不滅です〉の名言を残し、現役生活に幕を下ろした。

 芸能界きっての野球ファンであるダンカン氏は、長嶋氏の、こんなエピソードを明かしてくれた。

ビートたけしさんと松尾雄治さんが出演していた番組に、長嶋さんがゲストで来られたんです。ロケ地が神宮の草野球場で、長嶋さんが“軍団の皆さんも、ここで草野球をやられるんですか”って聞いてきて、やりますよって答えたんです。すると長嶋さんは、〈実はボクも野球が好きなんです。ぜひ誘ってください〉っていうんですよ(笑)」

 この話には後日談が。

「息子の一茂さんと共演した際に〈実は俺もね、野球やったことあるんですよ〉って言われたんです。全国民が知ってるよ(笑)。これは“長嶋家の遺伝”なんだなって思いましたね」

 そんなミスターの愛弟子 ・松井秀喜氏には、こんなすさまじい名言がある。

「打撃が好調だった2001年に、〈理想だけど、ストライクは全部ホームランにしたい〉と話していました。長嶋さんとの特訓で身につけた打撃に、それほど自信があったんでしょう」(スポーツ紙巨人担当記者)

 松井氏と同じく、日米で活躍をしたイチロー氏も、こんな名言を残している。

〈僕は天才ではありません。なぜなら自分がどうしてヒットを打てるか説明できるからです〉

 努力と研究が結果に現れたということだろう。

 昨シーズン、V9時代の川上監督を超え、巨人軍最多勝利監督となった原辰徳氏。彼は監督という仕事を、こう表現していたという。

「デーブ大久保さんが楽天の監督に就任する際に、原さんにあいさつに行ったら〈監督という仕事は億単位はもらわないとやっていられない〉と、その厳しさを説いたそうです。実際、現在の原さんの監督年俸は3億円だとか」(前同)

 そんな原氏は2003年、“読売内の人事”という理由で、監督を更迭されたこともあった。

「その際、ライバルである阪神の監督だった星野仙一さんが〈くじけるなよ、辰徳! 勉強してもう一度戻ってこい〉と声をかけたんです。闘将なりのエールだったんですね」(同)

■落合という“毒”を中日に注入

 前出の愛甲氏も、中日時代に監督だった星野さんについて、こう話す。

「星野さんは選手に向かって試合後に〈今日はみんなありがとう〉って言うんです。そんな監督は今まで見たことなかった。もちろん、負けた日は一転、ピリついてましたけどね(笑)」

 アメとムチの使い分けが際立っていたようだ。その星野氏の中日監督時代の大型補強の一つが、落合博満氏のトレードだった。

「星野さんが監督に就任した86年に〈今の中日に必要なのは個性のある選手、思い切って“毒”を入れましょう〉と提言したそうです。結果として落合さんが入団し、88年に優勝するわけですから、さすがの慧けい眼がんです」(前出のデスク)

 “毒”と呼ばれた落合氏は“オレ流”で知られているが、愛甲氏が、こんな落合氏の言葉を教えてくれた。

「落合さんはカネやん(金田正一氏)と過去にひと悶着あって、それを理由に、〈俺は名球会が大嫌いだから、1999本で引退してやる〉って言ってたんです。後年、本当に入会を拒否したんだから、すごいですよ」

 その金田さんも400勝を挙げたレジェンドだが、監督時代にはこんな一面も。

「監督としてのカネやんは、選手の名前をろくに覚えていない人だったから、たびたび〈ピッチャーあいつ!キャッチャーこいつ!〉って指さして交代を伝えていましたよ(笑)」(愛甲氏)

 愛甲氏は、千葉ロッテの監督と選手との、こんな“珍場面”も目撃している。

「逆転のチャンスでベンチにいた宇野勝さんが、〈ここは宇野しかいねぇだろ!〉って叫んでベンチの前で仁王立ちしたんだよ。それだけでもビックリだけど、それを見た監督の八木沢荘六さんが〈代打……佐藤(幸彦)〉って。あれは完全に漫才だったね(笑)。

■ダンカン感動の六甲おろし!

 熱狂的な虎党であるダンカン氏は、甲子園での一幕が忘れられないという。

「01年8月29日の巨人戦で、広澤克実さんが決勝打を放ったんです。ファンとの公約で“次にサヨナラ打を打ったら六甲おろしを歌う”と言っていて、その日はサヨナラではなかったんですが、お立ち台に上った広澤選手が〈さあ、みなさん一緒に歌いましょう〉ってね。あの六甲おろしの大合唱は、感動したね……」

 常に厳しい勝負の世界に身を置く選手たち。松村さんは、王氏の次の言葉こそ至言だと話す。

〈努力したのに結果が出なかったというのは、努力が足りなかったということ〉

 なんとも厳しい言葉だ。

「僕も芸人として王さんのこの言葉は身にしみますね。2021年は、この言葉を一年のテーマにしていこうと思います」(松村氏)

 ただ、松村さんは王氏の〈モリモリ食べれば、なれるよ〉も捨て難いと話す。

「ボンカレーのCMで、子どもたちに“どうすれば王さんみたいになれるの?”と聞かれた王さんのセリフです。今年一年のテーマなら、こっちのほうがやれる自信ありますかね(笑)」

 勝負師たちの言葉は、どれも心に突き刺さる――。

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