軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【前編】 (2/2ページ)
一方、聖子との関係は良好であった崇徳天皇だが、子供ができず躰仁親王を養子とした。ここに、腹違いの弟が同時に息子でもあるという歪な関係が完成する。
1141年。鳥羽上皇は崇徳天皇に譲位を迫り、近衛天皇が76代天皇に即位する。翌年、鳥羽上皇は受戒し鳥羽法皇となった。
本来であれば、崇徳天皇は上皇となり院政を行える立場にあったが、譲位を行った近衛天皇の宣命は「皇太弟」であった。この事実によって崇徳上皇は院政の権利を無くしてしまう。(院政には親子関係が必要)
これは鳥羽法皇の策略であったとされる。崇徳上皇を騙して譲位させることで院政の権利を奪い、自身の院政支配を盤石のものとした。
【中編】へ続く
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