銀杏BOYZ・峯田和伸、故郷への愛を語る「山形弁をそのまま出す。それがかっこいいし、面白い」

日刊大衆

峯田和伸(撮影・弦巻勝)
峯田和伸(撮影・弦巻勝)

 僕は山形の出身で、実家は祖父の代から続く電器店です。僕は大学進学のために上京したんですが、長男だったんで、卒業したら山形に帰って店を継ぐのが約束でした。だから、どうせ戻るなら大学4年間、好きなことをやってやろうと思って、バンドを始めたんです。

 メンバーはみんな初めて楽器を持つ奴らばっかりで、コピーする技術もないから、最初からオリジナル曲を演っていました。そしたら、それがウケたんですね。そのうち、全国のライブハウスに呼ばれるようになって、大学生なのにツアーに出ているような状況になってしまって。そしてCDのリリースも決まって、もう「バンド辞めて山形帰るんです」なんて、とても言えなくなっちゃったんです。

 どうしようかさんざん悩んだ末、大学4年のときに実家に戻って、「3年で100万枚売る。売れなかったら帰ってくるから」って、親に頭を下げました。

 その当時、2歳下の弟も大学生で、東京で同じマンションの隣の部屋に住んでいました。お互いが自由に行き来できるように、いつもカギは開けっ放しだったんですけど、ある日の夜、布団に入っていたら弟が部屋に入ってきたんですね。僕が目をつぶって寝たふりをしていると、弟は隣に正座して「兄ちゃん、俺が電器店を継ぐから、兄ちゃんは好きな音楽をやれ」って、それだけ言って部屋を出て行ったんです。

 そこで“ちゃんと音楽をやっていこう”という覚悟ができましたね。今、弟は電器店を継いでいます。あのとき、弟がそう言ってくれなかったら、もっと適当に音楽やって“ダメなら山形帰ればいいや”くらいに考えて、すぐ終わっていたかもしれない。弟だって音楽が好きだったし、やりたいこともきっとあったはず。それだけに弟の言葉は大きかったですね。

■「東京に対して“ナニクソ”っていう気持ちはなかった」

 東京は「遠い場所」でしたが、コンプレックスのようなものはありませんでした。僕の場合、バンドの元メンバーが高校の同級生だったので、ふだんしゃべっている方言の感じを、笑われてもいいから、そのままステージで出したいと思ったんです。それがかっこいいし、面白いと思った。だから、東京に対して“ナニクソ”っていう気持ちはなかったし、いまだに東京でも“山形のまま”でいられている。友達がいなかったら、こうはなってなかったでしょうね。

 今回出演した『越年 Lovers』という映画は、故郷の山形が舞台です。いつも俳優の仕事をいただくときって、セリフは標準語じゃないですか。僕は、ふだんから山形弁なので、どうしても一度頭の中で翻訳する作業が必要になるんです。今回は山形弁で演じることができたので、とても楽でした。やっぱり、「そんなんじゃないんだよ!」って言うより、「ほだな、んねず!」って言うほうが気持ちも乗りますよね(笑)。

 わがままを通してしまった僕にとって、山形はなかなか簡単には帰れない場所なんですが、先日、この映画のプロモーションで山形に帰って、久しぶりに実家に泊まりました。

 近所に小さい川があるんですけど、枯れ草みたいなのがいっぱい生えているその河原が、昔から大好きだったんですよ。

 夜中にふと思い立って、懐中電灯を持って歩いて行ってみました。真っ暗な闇の中に川の音だけが聞こえてきて、川の匂いも、中学のときにヘッドホンして河原でビートルズを聴いていたときとまったく変わっていない。

 東京に来てもうすぐ25年になりますけど、いまだにビートルズを聴くと、その川の匂いがしてきます。僕にとっては、ビートルズはリバプールでもなんでもなくて、地元の川の匂いなんですよね。

峯田和伸(みねた・かずのぶ)
1977年生まれ。山形県出身。1999年、ロックバンド『GOING STEADY』のボーカル・ギターとしてデビュー。2003年に解散した後、『銀杏BOYZ』を結成。これまで6枚のアルバムをリリース。フジロックフェスティバルなどの大型フェスに出演するなど、カリスマ的な人気を誇る。また、俳優としてもテレビや映画などで活躍。代表作として映画『アイデン&ティティ』『色即ぜねれいしょん』、ドラマ『奇跡の人』『ひよっこ』などがある。

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